私の名句鑑賞                                                               吉崎柳歩

 誰にでも心に残っている句、琴線に触れた句というものがあるだろう。それはその人にとって紛れもなく名句である。 このたびの講演に当たって、改めて「私にとっての名句」を整理してみたら、そのあまりの多さにびっくりした。ここに紹介する名句は、それらのうちの、ほんの一部である。 

○古川柳(柳多留)から 
 古川柳と言えば「本降りになって出てゆく雨やどり」とか「かみなりをまねて腹かけやっとさせ」などが浮かんでくる。 もちろんこれらも人情の機微を捉えた名句だが、誹風柳多留には、他人のことを詠んだふうに見えて、実は作者の思いを詠んだ句もたくさんある。発見、見付けのある、そのまま現代に当て嵌まる句もたくさんある。それらの中から、あまり人口に膾炙していない句を拾ってみた。

死に切って嬉しそうなる顔二つ           一篇25丁
 この世で結ばれることは有り得ない男女。もしも心中に失敗すれば、一人生き残れば死罪、二人共生き残れば厳罰の上、非人に落とされるという時代である。この二人は首尾良く成功し、紐で腕を繋いだまま川から引き上げられたのかも知れない。「嬉しそうな顔」と詠んだ作者の優しい眼。

母の名は親仁の腕にしなびて居           二篇2丁

 これは大恋愛の末、めでたく結ばれた例。永遠の愛を誓う証に、親父さんは「○○命」とおっかさんの名を入れ墨したのであろう。それから何十年、親父さんの腕もすっかり老いてしまって、母の名も萎びてしまった。それを微笑ましく眺めている息子の視線が窺われる。

蝶を子が追へばその子を母が追ひ            
 遊びに来ていた孫が、ちょっと目を放した隙に車に撥ねられた、なんて痛ましい事故が絶えない。車のない時代でも、歩き始めた幼児はどこに行ってしまうか分からない。「そっちは危ないよ」と、すぐ後を追いかける母の姿は、昔も同じ。

藪入りが帰ると母は馬鹿のよう              三篇39丁
 丁稚奉公に出ている、まだ幼さの残る我が子。現代と違って車も交通機関もない。親子が逢えるのも盆と正月の藪入りの時しかないのである。「そうかえそうかえ」と何を聞いても笑ったり涙ぐんだりする母。「馬鹿のよう」が言い得て妙。 

蜻蛉は止っていても飛んでいる             
 蜻蛉はトンボの古名、カゲロウとも読む。トンボは蝶と違って羽根を広げたまま止まる。まるでオスプレイのようだが、オスプレイと違って優美でもある。「止まっていても飛んでいる」という、一見、矛盾した表現が見事。

重箱をむすんで一つさげてみる             
 料理を入れるための重箱も、それを包むための風呂敷も、古来から日本人に愛用された便利な生活道具である。「重箱の隅」とか「大風呂敷」などの慣用句も生まれている。重箱には重箱の包み方、結び方があり雑にはできない。運送の途中で解けてひっくり返したら大変だ。「うん、これでよし!」。

十五点などと宗匠ふり還り              
 宗匠とは和歌や俳句の師匠。そんな気高い人でもやっぱり男。今日は一同で花見か野がけ道(ハイキング)なのだろう。 お師匠も一杯聞こし召してご機嫌である。すれ違った女性にお点を付けている。宗匠の違った一面を垣間見るのである。

知れて居るものをかぞえる泉岳寺              五篇18丁
 東京高輪の泉岳寺には赤穂浪士の墓がある。忠臣蔵といえば四十七士、数えなくても墓は四十七あるに決まっている。しかしそこは人情、昔も今も変わらない。一つ一つ数えて確認している輩もいる。尚、正確には四十七ではないそうな。

関取のこわごわかける涼み台             
 現代と比べると華奢にできていただろう涼み台。どうぞどうぞと勧められても、関取には手痛い経験もある。大丈夫かいなと「こわごわ」腰掛けるのである。関取の動作が目に見えるような一句。厠を借りるほうがもっと怖かっただろう。
 

○六大家の時代から
 誹風柳多留初篇が刊行されたのは一七六五年、二十四篇以後、次第に劣化し狂句に堕ちていった川柳を、柳多留の文芸性に戻れと、明治後半、新川柳を起こしたのは中興の祖と呼ばれる阪井久良伎と井上剣花坊。それに続く六大家その他の人々によって現代川柳の基礎が築かれた。

忠魂碑遺族三文にもならず            井上剣花坊
 日露戦争に勝って軍国主義の道をひた走る日本。名誉の戦死をした兵士には金一封も遺族年金もない。       

戦死する敵にも親も子もあろう           井上 信子
 あの時代に川柳人としての凛とした姿勢は立派である。 
 (一人去り二人去り仏と二人)はあまりにも有名。   

暴風と海との恋を見ましたか                 鶴 彬
塹壕で読むいもうとを売る手紙               鶴 彬

 川柳界の小林多喜二と呼ばれる鶴彬。暴風と海との恋、なんて凄い感性。「いもうとを売る手紙」の鋭い告発。   

まだ見えた頃の話で肩を揉み           西田 當百
 お客さんに愚痴を言っても仕方がない。失明する以前の話で合わしてくれている按摩さんを、好意的に詠んでいる。 

淋しさは交番一つ寺一つ              小島六厘坊
 二十一歳で夭折した天才少年。(いい役者でしたと話す絵双紙屋)など、詩心のある川柳も詠んだ。        

酔っぱらい真理を一ついってのけ         岸本 水府
四五二十たまごは箱におさめられ        岸本 水府

 水府の句を挙げればキリがないが二つだけ。結語の「いってのけ」と上5の「四五二十」が秀逸。         

お父さんはネ覚束なくも生きている        麻生 路郎
昔とは父母のいませし頃を云い          麻生 路郎

 小学生の子を亡くした時の句。「覚束なくも」に男親の心情が滲み出る。二句目、優しい父母がいた遥かな昔。    

大笑いした夜やっぱり一人寝る          椙元 紋太
電熱器にこっと笑うようにつき           椙元 紋太

 どんなに親友がたくさんいて心を通わせても、寝るときも死ぬときもたった一人。二句目、直喩の見本のような句。 

女の子タオルを絞るように拗ね         川上三太郎
 これも見事な直喩。三太郎には(河童起ちあがると青い雫する)という当時の進歩的な句もある。

子の手紙前田雀郎様とあり            前田 雀郎
 修学旅行にでも行った先からだろうか、我が子から手紙を貰ったのは初めて。父親としての「ほろ苦さ」が窺える。 

稲光り何処かで猫の鈴が鳴り           村田 周魚
 作ろうと思っても作れない句。軽みの極致であろう。  

何という虫かと仲がなおりかけ          食満 南北
いま死ぬというのにしゃれも言えもせず     食満 南北
 これはもちろん夫婦げんかの句。お互いそろそろ思っていたところにチンチロリンと来た。二句目、これぞ辞世の句。

世の中におふくろほどなふしあはせ       吉川雉子郎
 世の中に我が母ほど不幸せな人はいただろうか。(貧しざもあまりの果は笑ひ合ひ)は、あまりにも有名       

泣いた子の手から林檎の滑り落ち        小田 夢路
 馬鹿な子はやれずかしこい子はやれず、我が子への情愛。

言い勝った女のはうも泣いている           柳珍堂
 意を決して反論したのであろう。昔の女性はけなげ。  

仲居から仲居の死んだ話聞く           高橋 散二
 あまり幸せな死に方ではなかったことが推察される句。 (校正の眼がさかさまの田をみつけ)も同人。ユーモア作家。

長靴の中で一匹蚊が暮し             須ア 豆秋
 (院長があかん言うてる独逸語で)も人口に膾炙している。

海ゆかば手も握らずに散った人         久保 良子
 赤紙一枚で引き裂かれた恋人たち。海の藻屑になった兵士。

つぼ焼きにせよとさざえにふたがあり      小島 祝平
 (れんこんはここらを折れと生まれつき)は古川柳。  

妻だけが時世のせいにしてくれる        柴田 午朗
 「貴方が悪いのではない。良心を捨ててまで出世することはないわ」と、言ってくれるのは妻だけである。     

れんげ菜の花この世の旅もあと少し       時実 新子
 「れんげ菜の花」を、いろいろ取り替えても成り立ちそうな句だが、やはり「れんげ菜の花」が最適。      

せっかちがお好み焼をわやにする        岩井 三窓
 「わやにする」というフレーズの元祖がこの句か?   

○いわゆる「現代川柳」から
 現在、全国で活動している川柳会は、その殆どが六大家の築いた結社を源としている。水府の「番傘」、路郎の「川柳塔」、紋太の「ファウスト」、三太郎の「川柳研究社」、雀郎の「せんりう」、周魚の「きやり」がそれである。私が川柳の世界に身を置いてから今日までに目にした佳句は、ほんの一部に過ぎないけれど、その中から琴線に触れた句を拾ってみた。

ぱっと目をひらくと好きな人がいる        森中恵美子
解ってる答えを男から貰う            森中恵美子

・恵美子さんがまだ娘さん時代の作品。恋心が溢れている。 ・無理なことは承知で好きな人に確かめている切ない女心。

線香花火ぽとり別れはふいに来る        伊藤 竜子
おっとっと診察券にけつまずく          伊藤 竜子

・ささやかな花を咲かせた後、「命」はあっけなく地に還る。 ・診察券と縁が切れなかった作者。「けつまずく」が見事。 

観光旅行でヒロシマを見るのかい        矢須岡 信
バンザイをする虚しさも知っている       矢須岡 信

・せめて平和記念館には寄ってほしい、と作者は言っている。 ・虚しさを通り越しているのは、出征兵士を送る母だろう。

死んだ娘が夢に出てくるほうほたる       奥野 誠二
 自分より先に逝ってしまった娘。親としてこんなに辛いことはない。夕べ見た螢は娘の化身だったのか。

幸せな花は自分の色で咲く             乾  和郎
 自分の人生を生きよう。自分の川柳を作ろう。と聞こえる。

野良犬へ街の灯一つずつ消える        住田 三鈷
 当てもなく彷徨っている。野良犬は自分のことでもある。

酸素吸入口づけよりはある効果        織田不朽児
 会ったことはないが、癌病棟で川柳を創り続けた不屈の男。

一枚の喪中ハガキになる命            藤原 鬼櫻
 これまでに何枚の喪中ハガキを読んだだろう。そして遂に。

落ちる日が近付いてきたシャンデリア      黒田 一郎
 華やかな人生を歩んできた人も、いつか終焉を迎える。

もう一度言って下さい今の嘘            原井 典子
 こんな台詞を女性から言われたら、男は縮みあがるだろう。

亡妻と呼ぶか亡夫と呼ばれるか          櫻田  宏
 確率からいくと「亡夫」が多いが、夫婦によって異なる。

しあわせが近づいてくる鼓笛隊          赤松ますみ
 鼓笛隊が近づいてくる。まさに幸せが近づいてくる音だ。

納得のいくまで続く崖崩れ               三村  舞
 擬人化の見本のような川柳。「崖」ではない、「崖崩れ」の擬人化。最後に小石がポトリと落ちる。もう納得できたのか?

六回に風船一つだけ上がる            岩田 明子
 まだ六回なのに、誰かがうっかり指を放してしまった風船。上がった風船を見ている作者。情景が見える川柳。

雪月花いい年寄りにならはった          山本 光倫
 「雪月花」に凭れていない名句。「ならはった」が効果的。

碁敵はがんと対局中である            犬塚こうすけ
 碁敵はがんで入院中である、では川柳にならない。   

手を握るだけしか出来ぬ手を握る        瀬 霜石
 命を終えようとしている肉親に、為す術のない私たち。 

尻餅をついたところが現在地         詠み人知らず
 ここにいます、とお尻で証明印を捺したように取れて傑作。

一億の中のひとりにだまされる          田沢 恒坊
 それはお互い様。でも後悔はしていないようだ。    

ネクタイで涙を拭いたことがある         吉道航太郎
 宮仕えは辛い。人前では泣けない男ならではの一句。  

女には女の嘘がすぐ分かる           吉道あかね
 男には分からないだろうが、と暗に言っている。    

どちらかが死ぬまで続く年賀状         西原珠眞瑛
 今では疎遠になっている人の方が、こういうことが言える。

八十歳矢でも鉄砲でも持ってこい         岡田 和子
 開き直りの句。破調(中9)の使い方の見本のような一句。

ていねいに洗う百まで生きる顔          石丸 たか
 何を洗うのかと思ったら「百まで生きる顔」だって。脱帽。

抱きしめるときになくてはならぬ腕          山口 桃子
 当たり前のことなのに、深く納得させられる句。    

潮干狩り欲の数だけ取れる貝          小林 早苗
 私のように、欲のない男には向いていない潮干狩り。  

寒い日は寒そうにする窓ガラス          松谷 大気
 窓ガラスの見事な擬人化。暑い日は特に暑そうにしないが。

アメリカを拝んでしまう初日の出          大木 俊秀
人妻の乳房を正位置に戻す            大木 俊秀

・皮肉が利いている。「日出ずる国」の遥か東はアメリカ。 ・恋人の乳房ではなく人妻の乳房で、意味深な句になった。

どこまでも沈む機嫌の悪い皿           青砥たかこ
いつもより念入りにする薄化粧          青砥たかこ
・もちろん、「機嫌の悪い皿」は本人。適切で巧みな比喩。・念入りにすると厚化粧になりそうだが。女性ならではの句。

金魚鉢より大きくは育たない            橋倉久美子
置き手紙の置き方かなり難しい         橋倉久美子

・穿ちの句。川柳界は何処でも出入り自由の大海である。・言われてみればその通り。置き場所も位置も角度も難しい。

赤ちゃんはまだしあわせで良く笑う        新家 完司
炎天を歩き友の死受け入れる          新家 完司

・一見明るい句であるが、実は怖い句。「まだ」が不気味だ。・受け入れがたい「友の死」。号泣する代わりに炎天を歩く。

美しい人ほど恐ろしい鏡              橋本征一路
毎日が日曜今日は日曜日            橋本征一路

・当代一のユーモア川柳作家。美しくない人は鏡が嫌い? ・「今日も」でなく「今日は」が、この句の名句たるところ。

ハハシスという電報はきっとくる           天根 夢草
人質になったら重くなるいのち            天根 夢草

・今なら携帯電話で来るだろうが、母を思う気持ちは変わらない。・人質にならない限り、軽い軽い私たちの命。