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目次11月号 ・巻頭言 「 自転車 」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・没句転生 ・特別室 ・ほっとタイム ・ポストイン ・お便り拝受 ・各地の大会案内他 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 柳歩 吉道あかね たかこ 柳歩 柳歩 清水信 石丸たか・久美子 |
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巻頭言 |
自転車 ・無人駅の自転車例えばの正義 今年(平成十八年四月)自転車に乗ったまま不帰の人になられた柿木英一さんの句。 遺句集「自転車」は柳友、墨作二郎氏によって生まれた。英一さんは鈴鹿の大会に今年も来てくださる約束をしてたのに悔しくてならない。冒頭の句は、私が子育て中へタイムスリップしてしまいそうで心に留めていた句である。自転車の句がたくさんあるうちで一番心に迫る。 今月、我が鈴鹿の例会の宿題は「自転車」。選者の裕子さんに合わせて選んだ題だったが、私自身も自転車通勤生活三年目に入りなにかと思い入れがある。 ・自転車を盗られ馬鹿ほど叱られる これは私が出句して共選の選者から没となった句である。最後まで推敲したが薄っぺらい句になってしまい残念だった。つい最近川柳を始めた三男が高校生の頃、白子駅に自転車を置き、電車通学をしていたのだが、ある日鍵をかけ忘れてまんまと盗まれた。それを聞いた私は鍵をかけなかった子どもを叱りつけた。遅くまで起きているためにぎりぎりまで寝ていることまで小言が続いた。彼は黙って聞いていたが、最後にぽつんと言った。 「僕も悪かったけど、だけど悪いのはやっぱ自転車盗った奴だよな」 …、そうだよね、探しても探しても無かった自分の自転車。歩き疲れて帰った子どもに、なんて親だったのだろうと、忘れられない一こまが浮かんでしまったのである。 逝く夏の自転車道化師は死んだ 英一 たかこ |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
153号から 吉道あかね 働ける幸せ今日もペダル踏む 竹内そのみ 仕事を持つと時間の使い方が上手になります。家事も手抜きは出来ません。忙しい中で生き生き輝いています。健康に感謝です。 食べながら少し痩せたい二重あご 山本 鈴花 痩せすぎると皺が増えるから、女はいつも少し痩せたいと思っています。食べながら痩せたいなんて幸せの証です。二重あごは幸せの副作用なんですよ。 哀しみの今こそ笑くぼ深くする 鍋島 香雪 笑顔は人を前向きにします。いっぱい涙した人の笑顔はあったかいのです。“笑くぼ深くする”に哀しみの深さを感じます。 そのうちに日にち薬が効いてくる 疋田 真也 生きていれば人の心も流れもやがて変ります。過ぎ去れば傷さえも愛おしくなります。時はやさしい日にち薬ですね。 金持ちと見て蜜蜂が寄ってくる 坂倉 広美 団塊の世代の退職金が、今、狙われていて蜜蜂がブンブンです。我が家など子供がいない分しっかり貯めていると思われているから困ります。自分に、趣味に使っているのを知らないからです。 ウエストのサイズを聞くと嫌われる 吉崎 柳歩 内臓脂肪を心配して下さるのは嬉しいけれど、絶対言えません。少しくびれている所がウエストなんです。ちなみに指のサイズなら言えますが…。 ひっかかっるものがあるから流れない 青砥たかこ スーッと流れると楽なのに、ひっかかるものはしがらみでしょうか、未練でしょうか、いいえ貴女の優しさだと思います。 今が旬トシをとっても冴える勘 鈴木 章照 人生経験の勘も冴えて今、今今が旬なんです。若いのは今、美しいのも今、私も今の自分が好きです。歳を重ねることはステキなことですね。 (堺番傘川柳会・大阪在住) |
10月28日(土)例会より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
浅野デルタ 毎朝コーヒーを飲みに行くが、それらの店の一つに、スターバック(鈴鹿ベルシティ内)がある。例の安価広売のチェーン店の一つである。スターバックはハーマン、メルヴィルの『白鯨』という名作に登場する捕鯨船の一等航海士の名前で、それから借りたものである。一杯のカップのコーヒーの量が多いのは、この物語に由来している。 ところで、歿後10年に当る今年の浅野弥衛展は11月3日4日の両日、母校の鈴鹿市神戸小学校で開かれる。 毎年どこかで開かれて来た回顧展だが、今年は主催の鈴鹿市とプランナーの永見隆幸氏と遺族代表の衣斐弘行氏の希望が一致しての、珍らしい小学校での公開となったのである。豪華な図録が作成される予定だが、それは来場者にのみ配布されるという。 抽象画家の世界は、ローカリティーとは元々無縁のものだけれども、浅野は上京もせず、生家から殆んど一生を離れることなしに、郷土作家のような仕事をしてきた人である。地元の商店街に囲まれた古風な小学校での個展は、そういう意味では、ある種の意義があろう。企画では更に小学生が浅野の絵と戯れたり、それに触発された遊びをするらしい。それは多分、浅野も喜んでくれるに違いない。 ところで、浅野弥衛という名前がその生まれ育ち、仕事をした土地からまったく消えてしまいそうだ。 浅野の生家は衣斐家になり、次女の嫁いだ和田家にも「浅野美子」は既に亡く、私の家も私一代でつぶれることになっている。衣斐家を(北)を頂点に、二等辺三角形のように、和田家、我が清水家がある。浅野というナマエは、どこにも残らない。それで、私はこの三角地帯に「浅野デルタ」と名づけたのである。 郵便法も居住地命名法も、何たるかを知らぬけれども、友人の中田耕治が自宅を好きな作家の名を冠して、へミングウェイ通りと名付けて、そんなアドレスで手紙を呉れる。それで自分も真似をして「浅野デルタ」と書いて、この画家の名を残そうとした。 初めは、配達夫が困ると思って、「神戸十宮浅野デルタ内清水信」としてシャレの分かる数人に手紙を書いた。その中の二人から返事が来た。「浅野デルタ」内清水信で手紙が届いたのである。 次は「鈴鹿市浅野デルタ」だけで通そうと考えている。その三角地の中で、私のすごせるイノチは、そう長くはない。 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||
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