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目次10月号 ・巻頭言 「 足の裏の話」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・エッセイ ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・ポストイン ・お便り拝受 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 堤 伴久・柳歩 植野美津江 たかこ 柳歩 清水信 橋倉久美子 たかこ 柳歩 |
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巻頭言 |
宿題「洗う」はいろんなものを洗う句が出ました。中でも「足」を洗う句が当然のように出てきました。本物の「足」を洗うことで二十年も前のことを思い出しました。誘われて集会場の「ヨガ教室」に通っていたとき、同年齢くらいの女性が、どうも体の調子が悪い、めまいや体のだるさも消えない、更年期にはまだ早いし、精密検査をしても目立って悪いところは無いと話されました。 その時その教室の女性指導者が、靴下を脱いだ彼女の足の裏を見て少し微笑み、こう言いました。 「足の裏とか手のひらにはたくさんのツボがあります。手を洗わない人はいませんが、案外忘れがちなのが足の裏です。騙されたと思って今日から足の裏をマッサージするつもりできれいに洗ってあげてください」 彼女の足の裏は、汚れがこびりついてかびた古い餅のようになっていたのです。 それから数週間後、体のだるさが嘘のように取れたと報告されました。 青竹踏みや、中国方面の足裏マッサージは効きそうですが、自分で洗うことで自然と健康が維持できることをその時学びました。ちなみに手のひらの親指の下のふくらんだところをもう一方の親指で押すと頭が痛いとき、目が疲れたときなどすっきりします。クスリを飲むほどではない頭痛に、シャンプーをしながらのマッサージを勧めます。 そうなると、朝シャンは目覚めにはいいと言えるかも知れません。医学的根拠として自信はありませんが、よかったら試してみてください。 たかこ |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
・休日晴天たまには主婦もいいものだ 橋倉久美子
・慰めの言葉も出ずに見詰め合う 山本 鈴花
・足元にある酸欠に気付かない 沢越 建志
・手に取れぬ想いの揺れるファインダー 堤 伴久
・二キロ程太り大事にしたい肉 鈴木 裕子
・夏休み入れ知恵された孫泊まる 瓜生 晴男
・夫には思う存分威張りたい 安田 聡子
・忠実な下僕としての電子辞書 吉崎 柳歩 |
9月22日(土)例会より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
中島みゆき
阿久悠が死んだので、中島みゆきが文字通り作詞家の第一人者となった。 私たちは「その歌があれば、生きていける」という惹句は、一寸はずかしいが、糸井重里との対談の他、谷川俊太郎、井上荒野、谷村志穂、東直子、堀江敏幸らが、オマージュを寄稿している。それとは別に、工藤静香や竹中直人ら数名による「この一曲」という推薦コーナーがある。
75年に「アザミ嬢のララバイ」でデビューした彼女は、「悪女」「空と君のあいだに」「地上の星」を経て、不倒の人気を形成してきた。 この歌姫の痩せ方が好きだ。痩せても強靭な体力が好きである。 昔 僕はこの池のほとりの 一本の木だったかもしれない 遠い空へ手を伸ばし続けた やるせない木だったかもしれない あの雨が降ってくる 僕は思い出す 僕の正体を 昔から降ってくる なつかしく降ってくる (昔から雨が降ってくる) 新アルバム「ラブ・ユー・答えてくれ」収録11曲中の一編である。阿久と同じで、多産系作家で、当然作品には出来不出来のムラが多いけれども、慎重寡作の人よりも、私は多作系が好きで、その作を選ぶのは、人に委せておけばいい、という態度を良しとしているのである。多作に優る創作方法なんて無い。 同誌には、もう一つの特集〈ファンタジーの女王〉「いよいよ上橋菜穂子」がある。一九六二年東京生まれ、立教大学卒。児童文学作家としてデビューしたが「守り人」シリーズ全10巻で、その世界を確立したという。この作家についての知識は乏しかったので、参考になった。 これら二人の女性は、自分の眼で見えたものだけが、リアリズムではなくて、幻想や抒情もまた、批判的な一つのリアリズムの世界であることを、教えている。 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||
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