目次 2月号
巻頭言  「折句」
すずか路
・小休止
柳論・ 自論
・リレー鑑賞
・ひとくぎり
例会
・今月のこの句
・各地の大会案内
特別室
・ほっとタイム
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・お便り拝受
・編集後記

たかこ
整理  柳歩

柳歩
鍋島香雪
たかこ

たかこ

清水信

柳歩
 
















 
巻頭言

 折  句                       

公園のいすでこっそり脱ぐヨロイ          橋倉久美子

 平成十八年度鈴鹿川柳会新年句会恒例の「折句」(今年は戌年にちなんで『こ・い・ぬ』を五七五の頭につけて作句)冒頭の句は清記互選の最高得点句である。生憎の欠席投句ながら、久美子さんの意気込みが感じられる傑作だった。この、お遊びとはいえ皆をうならす「折句」はいつから始まったのか過去に遡ってみた。どうやら平成六年からのようだ。課題は『お・せ・ち』最高得点はE点で。

思い出がセピア色へと散り急ぐ          青砥孝子
 少し言葉を飾りすぎかな?      
 
平成七年『ひ・の・で』F点
火を放つ野焼きの後にでる新芽          井垣和子
ひと言を飲みこんだまま電話置く      伊藤竜子

 平成八年『ね・ず・み』J点
年収をずばり聞いてる見合いの娘      伊藤千世

 平成九年『き・ぼ・う』F点
気の向いた方へ伸びてく瓜の蔓          井垣和子
去年よりほんのすこうし上を見る      青砥孝子

 平成十年『に・し・め』F点
庭の梅静かに春が目を覚ます          島岡嘉代

 平成十一年『う・さ・ぎ』G点
運命に逆らえば鳴る北の風            伊藤竜
梅だより淋しい冬の忌があける           岸原博子

 平成十二年『ぞ・う・に』H点
添え書きがうれしく賀状匂う筆         稲垣志づ子

 平成十三年『こ・た・つ』F点
これは恋たぎる思いを追伸に           坂倉広美

 平成十四年『ひ・の・で』C
秘めごとがのぞかれていた天の窓        井垣和子

 平成十五年『こ・と・し』G点
誤解まだとけず思案のしまい風呂        水谷一

 平成十六年『お・と・そ』G
おーいお茶飛んで来たのはそのむかし    上田徳

 平成十七年『た・ま・ご』O点
たいくつも混ぜ込んで飲む午後のお茶    橋倉久美子

 賛否両論の意見があるでしょうが、今後も鈴鹿の特色のひとつとして言葉の意味を大切に、をモットーに続けたいと思います。

たかこ

すずか路より
機嫌よく唄っています十八番です 疋田真也
ひめゆりの塔の前ですお静かに 山本 宏
夢ばかり追って人間小さくする 沢越建志
引き潮になってあなたを見直した 柿木英一
点滅の信号だけが目撃者 岩田眞知子
情けない義理チョコすらも無い夫 山本鈴花
モンゴルの力士の髭も様になる 上田徳三
金縛りに遭ったみたいにハイチーズ 鈴木章照
お弁当賞味期限は五時までよ 鶴田美恵子
マジックはできないけれど嘘はつく 寺前みつる
待つことにしようか豆が煮えるまで 東川和子
明日という光の扉押し開く むらいかずあき
いい事は残す古いと言われても 井垣和子
カルタ取り本気でやった日が恋し 山本喜禄
訃報聞く明日の私を問うている 内山サカ枝
階段を磨いて2006年へ 坂倉広美
整形の効果は一代で消える 北田のりこ
死んだ人にも来るダイレクトメール 橋倉久美子
耳鳴りをシフォンケーキに悟られる 多村遼
表紙絵がとても気になる刷り上がり 鈴木裕子
美人追う目は健在の初詣で 小林いさを
平成のスピード更に速くなる 加藤吉一
前向きに生きると決めてお正月 竹内由起子
皇室が身近になった初参賀 小嶋征次
持ち寄りの餅それぞれに癖がつき 水野二
重箱をひとりでつつく三が日 岡田敏彦
グリーン車乗れる時には用がない 長谷川健一
中七と下五素直に守ります 山本 城
お手つきも笑ってすますかるたとり 安田聡子
二の腕に老身なりの力瘤 木村彦二
社説より株式欄を先に読む 竹島 弘
合併はしない頑張れ明和町 秋野信子
寒菊の根性今日も見習おう 瓜生晴男
引っ張ってみても福耳にはなれぬ 吉崎柳歩
マイペースの夫に笑われてばかり 青砥たかこ
 

整理・柳歩

柳論・自論
五七五の研究(その一)

  川柳においては、定型と言えば五七五、五七五と言えば定型を指すことは猫でも杓子でも知っている。誰でも知っているが故に、「なぜ定型なのか?」「なぜ五七五なのか?」という根本的な疑問は近年おざなりにされてきたような気がする。国語教育がおざなりになって、日本語の乱れが進んできたように、定型の乱れも進んできたように思える。新しく川柳を始めた人たちが、中八や下六の句を発表されても、ちょっと見つけが面白ければ平気で抜く選者も多い。選者と言ってもいろいろだが、これまでにも指摘したように、勉強をしてない人もどんどん選者に起用される。そんな選者どころか、各柳社の主幹級の選者でさえ、そんな句をかまわず抜いているようだ。披講を聴いてズッコケルのだが、かえって、指摘するほうが「中八、下六の何処が悪い」「頭が固い」と軽蔑される始末である。

○ 始めに定型ありき、ではない 
 以前、印象吟散歩のイントロの部分で「定型はルールではない、文芸にルールは違和感がある」と述べた。しかし、定型には「魔力」があり、守るべき価値があることに異論はない。まだ日本に文字のない時代から使われていた日本語、語部の口誦によって伝承された時代から、和歌、連歌、俳諧を経て、現代に至る短詩型文学が、五七五の定型が結果として、いや必然的に確立されてきたのである。

○ なぜ五七五か?       
 七五調についての起源や効用に関する研究は数多あるが、国文学者、坂野信彦氏の著書「七五調の謎をとく」(日本語リズム原論)について、堺番傘の日野愿氏が解説したものがある。以前、十回に渡り機関誌「ちぬ」に連載されたもので、わかりやすく解説してあり、大変勉強になった。

 @日本語の音 A二音基調 B四音の枠組み C八音の単位 D準定型  E拍節構造 F七音五音の必然性 の
各項目に沿って解説してあるが、先ず、その解説文の要約をしてみたい。

@日本語の音
 日本語の音の数は、基本的にかな一字が一音に相当するので、かぞえるのは容易。各音はほぼ同じ長さの時間を持っている。促音「っ」撥音「ん」拗音、長音「ー」も一音で発音する。

A二音基調
 日本語はつねに二音という単位を基軸として成り立つ。具体的には、あき空をはとがとぶ/それでよい/それでいいのだ(八木重吉「鳩が飛ぶ」)  この詩の文は二音単位に刻まれる。
 あき ぞら を  はと が  とぶ  それ で  よい  それ で  いい のだ

  「あき空」「はと」「それ」「よい」など自立語はすべて二音もしくは二音+二音である。それらに付属する助詞「を」「が」「で」は一音で、二音の尺度からは一音分不足することになり、この空白は一種の「ポーズ」(休止)で、文節(あき空を)の切れ目にこのポーズが置かれることは好都合なのである。

B四音の枠組み
 二音の繰り返しの四音という単位は、二音よりはるかに堅固な枠組みをつくる。現代語の四割近くが四音語で、外来語のカタカナ表記も四音に省略されることが多い。アメフト、ハンスト、リストラ、プレミア。プレミアムのようにわずか一字でも省略して四音にしてしまう。
  四音と五音では、発音に要するエネルギーに大きな差がある。「国連」「日銀」「天丼」「サラ金」「なつメロ」等々。擬音語、擬態語でも圧倒的に多いのは四音。きらきら、くるくる、ざあざあ、二音の反復以外でも、ちらほら、ぱちくり、ゆったり等、四音そろってはじめて充足し安定する。四音に満たない、または越えるオノマトベには末尾に「と」を伴って用いられる。「くるりと回る」「わっはっはと笑う」。
  「二・二」構成以外、「一・三」「三・一」構成でも、注目すべきことに、いずれも「二・二」構成のものと同様のかたちで発音される。「葉桜」は「ハ・ザクラ」ではなく「ハザ・クラ」、「武蔵野」は「ムサシ・ノ」でなく「ムサ・シノ」と発音するのである。つまり、四音という音数がひとつの堅固な枠組みとして機能していることと、その四音は「二・二」という内部構造を持つということである。

C八音の単位
 八音の単位は、まず四音の語の反復として見出される。「からころからころ」「チクタクチクタク」など四音を反復させ、大変ノリのよい、小気味よいリズムとなっている。八音は四音の、四音は二音の、二音は一音の反復で、次のようなシンメトリックな(つり合った)構造がリズムを形成している。

 { [ か ら こ ろ ][ か ら こ ろ ] }

 単位が大きくなるにつれて、単位そのものの存在感が強くなる。つまり八音にいたって落ち着くところに落ち着いた感じになるのである。日常的に使われる八音に次のようなものがある。 一汁一菜、東奔西走、貧乏暇なし、死人に口なし、えっちらおっちら、お茶の子さいさい。八音+八音として、ごんべが種蒔きゃからすがほじくる、あわてる乞食はもらいが少ないなどがあり、空白なしの二音の反復が十六音にわたってよどみなく連続して、八・八のリズムをつくっている。
 明治時代にこころみられた「新体詩」でも八・八のリズムはためされた。

 幕のかかりて暮れゆく道には 仰げと夕べの光はおちゆき・・・・  (野口雨情「惰眠を呪う」) 
                                                                   つづく

                                                               柳歩

 
例会より
宿題「踏む」 吉崎柳歩選
  利き足の方の靴下から破れ 北田のりこ
  趣味の会ここにも踏み絵置いてある 沢越建志
 止 助手席も思わずブレーキを踏んだ 上田徳三
 軸 先達の踏み跡があるいばら道 吉崎柳歩
宿題「蓋(ふた)」 小嶋征次選
  ないよりはまし合ってない蓋だけど 北田のりこ
  煮詰まった思い逃がさぬようにふた 青砥たかこ
 止 強引に蓋をするから軋み出す 吉崎柳歩
 軸 蓋取って古墳美人に黴仮装 小嶋征次
宿題「蓋(ふた)」 山本 城選
  厳重に蓋をするから見たくなる 井垣和子
  つい蓋が外れ本音がこぼれ出る 小嶋征次
 止 ことことと私を煮込む落とし蓋 多村 遼
 軸 棺桶の蓋は開けるな迷うから 山本 城
宿題「折句(こ・い・ぬ)」 清記互選 高点句
 7 公園のいすでこっそり脱ぐヨロイ 橋倉久美子
 5 此処まででいいと言うのに脱いでいく 内山サカ枝
 5 これほどにいたわってるが抜ける髪 北田のりこ
 5 今夜だけいいの私を盗んでも 小嶋征次
 5 このままがいいねとってもぬるま湯で 青砥たかこ
特別室

『たかこの世界』      

清水信

  鈴鹿土曜会正月に於ける今年初のビッグニュースは『あおとたかこの世界』と『清水信文学選・ミニ版』の発行である。共にその席上で配布されるフリーペーパーである。
  鈴鹿土曜会は毎月第二土曜日午後に開かれている文学研究会であって、前月に配布された会員たち参加の同人雑誌の合評を軸としている。
  以前は、大川裕久の『安置安定』や寺下昌子の『呉竹通信』が配布されていたが、何と言っても最新不倒の継続誌は、川瀬朋子の『小舟』であった。亀山の楢原富美子の手によって、その合本が作られた。1号から50号までが第一巻。51号から100号までが第二巻そして今回101号から135号までが第三巻としてまとめられた。
  川瀬朋子はその後多事多難の事情が続き、中絶状態が続いていて、会への出席も途絶えて惜しまれる。
歳末の時評(中日)で藤牧初彦の『閑々日記抄』をすばらしいミニ批評誌として取り上げられたが、それと併行して、中田重顕の『軽口日記』や村井一朗の『葦通信』があり、今度は吉田幸司『読んでみなせい』が発刊された。僕としては、理想形として名村和泰の『KANSО』を考えており、それは60号に達している。自分のミニ文学選は、それを真似ている。
  青砥たかこさんは八面観音と言われており、いくつかの顔のあるホトケ様で、川柳会のベテランであるばかりか『さん』で次々と新しい小説を発表している人だが、今回のミニ批評誌は、更にユーモラスな柔軟な文章力と批評眼を発揮して、処女句集の発行と共に今年度最高の期待度を感じさせる。
  二〇一〇年には、文芸雑誌は壊減し同人雑誌はミニコミ誌やフリーペーパーになる、というのが自分の予見である。その事情を先取りしている、この種の批評誌の発刊が、鈴鹿土曜会で刊行され続けていることが何よりうれしい。本誌の読者の多くは、うらやましいかも知れないが、土曜会に出席しない限りはそれらは入手できない。
  怠け者の藤田座長や眠り猫の美幸には、何も期待しないが、インターネットに凝っている衣斐弘行や、メタファ、ガンデンというペンネームを作ってやった岩田青年などが、この種のミニ批評誌に今後とりくんでくれる期待はある。川柳の結社誌の未来についても楽観は出来ない。

(文芸評論家)清水信

誌上互選より 高点句
前号開票『付ける』
11 付加価値を付けおばさんになってゆく 岩田眞知子
11 いい位置に付けてチャンスを待っている 吉崎柳歩
 9 胸にバラ付けて代理が落ち着かぬ 山本 宏
 8点 条件を付けると恋も萎みだす 沢越建志
 8 目を付けたお値打ち品は離さない 井垣和子