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目次 4月号 ・巻頭言 「つぶやき」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論・ 自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・今月のこの句 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・特別室 ・ほっとタイム ・ポストイン ・お便り拝受 ・各地の大会案内 ・編集後記 |
たかこ 整理 柳歩 柳歩 鈴木如仙 たかこ たかこ 柳歩 清水信 |
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巻頭言 |
つぶやき
子供のころの親の教えのひとつに「苦労は買ってでもしろ」というのがあった。買ってまでする気はないが、人が見て苦労してるなあと思われるようなことを割りと平気でしている。 自転車で片道二十分もかけて早朝(六時半から)のアルバイトは、半分は運動を兼ねているつもりだが、かなり大変そうに思われている。昔からお金を出してまでスイミングや、スポーツクラブに行って体を鍛えようとは思わない。要するにケチなのだ。運動をしながら収入がある、一石二鳥以上である。一年で体重はあまり変わらなかったが、体脂肪はかなり減った。朝が早いから一日を有効に使える。知り合いの中に見かねてか、昼間の事務の仕事をお世話下さる方もいたが、滅相もない。のんびり働く時間は惜しいのだ。
今のアルバイトはかなりハードだから長くは続けられないかもしれないが、体力の貯蓄ができてくる気がする。現在七、八十代の川柳の先輩方を見ていると、つくづくと若い時代をしっかり生きてこられたと確信する。 今しかできないことをやっておく、これは何歳になっても言えること、そう思えるようになってきた。もっと若い時から心がけていたら、と思うこともあるが、過去は過去。過ぎたことはどうすることもできない。
今年の大会に「羨ましいこと(読み込み不可)」という題がある。人が全然羨ましくないと言ったら嘘になるが、なんでもかんでも「いいわね、いいわね」と言うような人間にはなりたくない。きれいな人を羨ましがって自分も美人になれるというのなら別だが。 たかこ |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
146号から 鈴木如仙
理不尽に私を襲う静電気 北田のりこ
よく回る明るいうちに飲むお酒 橋倉久美子
美人追う目は健在の初詣で 小林いさを
教えても教えられても怒られる 岡田敏彦
中七と下五素直に守ります 山本 城
母国語の次に四季まで乱れ出す 青砥たかこ (やしの実川柳社会長 豊橋市在住) |
例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
『山崎と中村』
・妻よりも白い猫を招くと睨む妻 ・妻には見せぬ胸の蛍は数えない ・妻肥えりペンペン草は庭にある ・妻とする道草ならば日も暮れる ・縄をなう妻へ鋏を研いでおく
これらは、すべて山崎蒼平の句である。こんなに「妻」がモチーフになるなんて、おかしい。 山崎は「現代川柳誌」の『隗』(横浜市神奈川区新子安)の主宰であって奥付に見る(会計・山崎法子)が多分、オクさんなのだろうと思う。これらの「妻」が、作者の実在の妻ばかりでないことは明らかだけれども、モチーフの選択としては、おおいに気になるところだ。
『隗』の同人は、わずか11人、関東勢ばかりの中に、札幌から佐々木久枝、伊勢から松本きりりが参加しているのが異色。投句資格のある会員は50人で雑誌は季刊。その28号には、山崎主宰が先師、中村富二のことを、年譜風に詳述していて参考になった。
中村富二は明治45年2月、横浜生まれ、生家は米問屋。第一南小学校から横浜商業学校へ進学。今の中学生に当る商業高校時代に、早くも作句を始めている。『川柳みみず』に入会し、昭和13年には金子勘九郎と二人だけの川柳誌『土龍』を発刊。当時の作にはこういうのがある。
・人形の帽子はみんな生意気だ
26歳で結婚。31歳で海軍に応召、入隊中の句は、次の通り。
・風の中、男、男、とないて怒る ・生命あらばと別れ来し冬の真中 ・手を二本吊上げて眼のやるとこが無し
戦後川柳界の復帰の『鵜』で活躍したが、生活のため川崎駅前でパチンコ屋を経営、柳俳合体論るいには目もくれず「川柳の鬼」となって生きた。久保田万太郎は俳句という文芸について「一に技巧、二に技巧」技術以外には何も無いと言ったそうだが、中村もまた技巧を重んじた。蓬髪無類の様子をしていたが、近所の子供たちからは好かれていて、プロ級のハーモニカを聞かせたり、縁台将棋を教えたりして、よく遊んでいたという。 そういう無邪気な子ども心が、作句の中に生きていたと思われる。
・そも誰に似し仏像と酔ひし秋 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||
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