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目次7月号 ・巻頭言 「 りんちゃん」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・大会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・大会特集 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・暑中広告 ・お便り拝受 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 柳歩 萩原典呼 たかこ 清水信 橋倉久美子 北田のりこ・鈴木章照 たかこ |
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巻頭言 |
第五回目の大会、雨にもかかわらずたくさんの方に来ていただき無事終えることができました。「事前投句」のよいところのひとつに、雨だからやめとこう、にならないところがあります。 アトラクションに「剣舞」をお願いしようと決めたのは、大会までひと月もありませんでした。昨年に比べて「課題」が一題少ないうえ講演も何もないのは早く終わりすぎて懇親会まで間が持たないのではないかと、いろいろ柳歩さんと思案をしていました。そんなふたりに閃いたのが、千世さんの剣舞でした。以前竜子さんもお元気だった頃一度だけ畳の部屋で踊ってもらったのを思い出しました。さっそく千世さんに電話をしてみると、ひとりの踊りはせいぜい二分だから、お弟子さんに頼んでみるわ、と快諾をいただいたのでした。 当日高校生の若者に混じって可愛い三歳の「りんちゃん」もおばあちゃんと「夜桜お七」の「詩舞」を披露してくれました。大人の迫力ある踊りもよかったけど、やはり子役には負けます。 扇を二つくるくる廻すところで会場から大きな拍手が沸き起こりました。おまけに「りんちゃん」には舞台に駆け寄られた規世児さんからおひねりまで出ました。 にわか作りの楽屋に行くと皆さん着替えを始めていました。すみっこにいた「りんちゃん」に「かわいかったね、上手だったわよ」と思わず声をかけると小さな声で「ありがとうございます」としっかり返事がありました。お稽古事はまず挨拶からを思い知らされました。 千世さん、皆さんありがとう。 たかこ |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
或る日のことです。 と答えましたが、何故か気恥ずかしさと腹立たしさを感じ世間ではその程度のものかと知りました。世間さまの川柳に対する認識を見つめ直す時代を私達、川柳作家は再認識したいと思います。
・無駄話ですがよければしませんか 寺前みつる ・年金に春闘あれば旗を振る 長谷川健一 ・アメリカと親しくなって銃が増え 鈴木章照
・骨なしの魚はこまる猫がいる 上田徳三
・若者になら効く若くなる薬 堤 伴久
・短足のせいか出世にまた遅れ 水谷一舟
・水だけで咲いた桜は色がない 竹内由起子
・スーダラ節あのころ僕は若かった 吉崎柳歩 ・珍しい風がペダルについてくる 青砥たかこ (兵庫県明石市在住) |
6月24日(日)鈴鹿市民川柳大会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
花街文学論 出岡絢巳の近刊『湯の花物語』は、花街を舞台にした出色の短篇小説集である。 自費出版ブームとはいえ、単行本を出すのは、たいへんな勇気と腕力を要する。その上、彼女の選んだテーマは、現代に生きる女性にとっては、勇気と勉強がなければ出来ぬことなのである。 田辺聖子も佐藤愛子も、瀬戸内寂聴も、女性の流行作家は、ほとんど古川柳や川柳作家について、エッセイや評伝を書いている。川柳は、女性作家の文学観を刺戟する所があるのだ。 先きに、田辺聖子の『道頓堀の雨に別れて以来なり――川柳作家・岸本水府とその時代』に触れて書いたが、このタラタラした長い評伝には、『番傘』同人の川柳作品を随所に織りまぜたり、関係者へのインタビューを取り込みながら、これ以上の伝記は書けまいという気配は濃厚だが、それでも抜けている部分がある。 その一つは、水府の花街案内については、ひとことも触れていないこと。 当時、日本全国には六百六十ヶ所の花街があったという。岸本水府の「大阪の花街」に拠れば、次のような規模だったという。 名称、店(茶屋の数)、女の数の順
イ、新町遊郭 166 900 現代の両性観から見れば、まことにケシカラン事情だが、永く続いた封建社会のもたらした構造的差別や職種に拠るもので、とりわけ日本の男女が性にだらしないわけではなかった。 となれば、その世界にも普遍的問題があって、出岡女史は幼少時代の見聞を基盤に、つい先ほどまで日本社会に存在した花街を描き、そこで働いていた人や死んでいった人たちに目を注いで、運命に弄ばれた人々を、温かい心で書きつくしたのである。 酒井真人との共著『三都盛り場風景』で、大阪花街を担当した水府は、如上のような数値を挙げて、実地に見た様子を解説している。田辺は偶像視のためカットしたのかも知れない。 これからしても、出岡がこの作品を発表するために、いかに勇気を奮ったかが、分かるであろう。 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||
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