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目次4月号 ・巻頭言 「 鈴鹿サーキット」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・没句転生 ・インターネット句会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・お便り拝受 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 堤 伴久・柳歩 久保田元紀 たかこ 柳歩 清水信 橋倉久美子 柳歩 |
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巻頭言 |
鈴鹿サーキット
先月のこの欄でアトラクションが加わったことをお知らせした。 ところが、印刷に出した直後会場の変更を余儀なくされる出来事が起こり、発送時、会員はもとより誌友、交換誌の各柳社様宛急遽通知させて頂いた。すでに貴重な紙面に案内を掲載してくださった柳社様お許しをいただきたい。
さて、気を取り直して鈴鹿市が日本に、いえ世界に誇る「鈴鹿サーキット」のことを少し説明させて頂く事にする。 一九六一年、本田技研工業社長本田宗一郎氏(平成八年没)によって創業された。一三三万平方メートルの土地には、F1、8耐で有名なレーシングコースはもちろん、ホテル、遊園地、研修施設、結婚式場、ボーリング場から温水プール、温泉、スケート場などあらゆる施設が整っている。今回大会会場となるのは研修室である。研修室へは迷いやすいので、案内をよく確認してほしい。
また、終わってから遊園地で乗り物に、あるいはレース場を観て帰ろうと思われると、遊園地専用のゲートが設けられていて、入園料が必要となることをお忘れなく。
「鈴鹿市の歌」より (編集・青木久佳)
若者の並ぶサーキットの乗り物に恥らいつつ吾は並びぬ 加藤悦子
サーキットのヘアピンカーブ鮮やかに見えて飛機内に歓声 伊藤千鶴子
川柳にはなかなか詠まれにくい「サーキット」だが、このように短歌になっている。ちなみに、我が家の二階のベランダからは、そのヘアピンカーブがくっきりと見える。サーキットでお待ちしています。
たかこ |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
・いい話ばかり聞きたい両の耳 寺前みつる 本当の善人は右の耳で痛い風聞を受け左の耳でおもむろに流す。両方の耳で都合のよい話にばかりひたっていると何者かにされてしまう。悪友はよいが悪人は気をつけよう。
・やがて要る杖か視野からはなれない 坂倉 広美 杖を意識し始めると人生は坂道に入る。早い人で三十路坂、遅い人で八十路坂が待っている。
・正月は新しい下駄履いていた 長谷川健一 昔は正月には特別な節目を抱いていた。下駄に限らず着物を新調するのも正月だった。下駄には一年のけじめがあった。
・うす型のテレビで上にモノ置けず 北田のりこ 今の時代は使用しなくなった物はゴミと同じである。溜めることのないようにテレビは薄型へと改良されたとも言える。
・喪が明けて便りが届く二年ぶり 山本 鈴花 年賀状の交換が途絶えるのは喪中ハガキに起因することが多い。絆が強いと復活する。
・居酒屋で咲く雑草も夢がある 沢越 建志 雑草はその他多勢とは限らない。一つひとつにちゃんと名前はある。そして個性もある。従って素晴らしい夢もあるに違いない。見栄を張らないお酒が飲める。これが雑草の強みである。
・日帰りの範囲で歩く僕の足 山口 龍一 一日一万歩と決めつけると歩くのがいやになる時がある。もっと自由な単位で歩くと長続きする。例えば日帰りを一つの単位にするのも一つの方法であろう。
・ベテランにはなれず新鋭とも言えず 橋倉久美子 川柳の場合のベテランの定義は難しい。いたずらにキャリアを重ねてもベテランにはなれない。伝統川柳の場合は“かるみ”の句が作れるようになればベテランの域に近づいたと思ってもよいだろう。この作者は近詠の愉しみを心得ている。
・負けたくはないからななめ歩きする 青砥たかこ 近道を選べば既に負けたことになる。まともでは勝ち目がない。そんなときはどうしたらよいのだろうか。ピタゴラスの定理ではダメで非ユークリッドの幾何学を借りるしかない。
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3月29日(土)例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
翁文化講演会
今回は文化講演会の宣伝をさせて戴く。地味な年よりの講演だから、千二百席ある市民会館の客席が埋まるとは考えにくいが、この企画に賛同した一人としては、空席をできるだけ少くしたいからである。
日時、平成20年5月31日(土)14時 場所、鈴鹿市市民会館(市役所隣) 内容、(1)清水信、中村晋也講演 (2)吹奏楽 (3)清水・中村対談
以上の通りである。清水は旧制神戸中学(現神戸高校)を昭和13年に卒業している。中村は同校を同19年に卒業している。神戸高校の同窓会を樟友会という。その樟友会がこの企画(主催は鈴鹿市)の推進力となっている。
中村は東京高師に進み、卒業の翌年日展(彫刻)に初入選。その後フランスに留学、帰国後鹿児島大学教授に就任。数々の成果を上げ、72歳の時には文化功労賞表彰を受け、昨年度文化勲章に輝いた人。
その業績とは比べものにならないが、昨年度中日文化賞を得、今年また県民功労表彰(芸術文化)を受けた私と併せて、鈴鹿からの文化発信として、音楽部と合わせて、美術と文学の現在と未来、さらにふるさと三重への愛着を語るという企画が実ったのである。
もちろん、中村の受けた文化勲章といえば、一業一地域に発する自分の賞とは比べようもない大賞なのだが、同窓会規模で考えれば、自分の方が遥か先輩である。それを根幹にすれば話し合えぬこともないだろう。
鹿児島在住の中村晋也を故郷に迎えての自分の雑談という形になるが、幸いにして、彫刻と文学は似ている。共に無から有を造るものだ。さらに、その上、有形のものから、無形の魂に及ぶものである。
菰野のパラミタ・ミュージアムで、昨年10月1日から12月25日にかけて、代表作である「釈迦十大弟子」やライフワークの「ミゼレーレ」シリーズを中心にした個展があって、観覧した人も周辺には多いので、その芸術世界について詳述しなくてもいいので、気楽な対談でも、聴衆のみなさんの心には何か届くであろうと信じる。
同人雑誌の理念は、自由・独創・情熱の三つである。そのどれが欠けても雑誌やグループの存続理由が無くなってしまう。そういうことを中心に話すことになるだろう。できるだけ沢山、皆さんのお運びをお願いする。さらに六月の本誌の大会には、お招き戴いて、私も話をさせて戴くことになっている。それにも、よろしく。 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | |||||||||||||||||||||||||||
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