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目次8月号 ・巻頭言 「斉藤大雄さん」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・大会 ・大会特集 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・インターネット句会 ・お便り拝受 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 伴久・柳歩 徳永政二 たかこ 清水信 橋倉久美子 柳歩 |
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巻頭言 |
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すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
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7月26日(土)例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
ななかまど(1)
第6回鈴鹿市民川柳大会、ごくろうさま。御盛会おめでとうございます。 ・ななかまど昔も今も美しき 信 これは、その夜、彼女に贈った句であるが、現代川柳になっているのかどうかも定かでない。 予感としては、お会いできるような気がしていたが、鈴鹿サーキット内グランプリホールの入り口へ、定刻に到着した自分を、そこで待ってくれていて、その姿を見て、心は動顚した。昔通り、可愛いく美しいので、すっかり舞い上ってしまった。 記念講演のタイトルは「川柳は鳥」だったのに、それも忘れて、30年から40年も前の、名張でのデートを想い出して、そのことを話す内に、30分の時間が来てしまった。 『川柳三重』の1971年11月号と、『芸術三重』の1980年11月刊の22号が、偶然出て来て、大会での短いスピーチに役立ったことを喜んでいた。 とりわけ、自分の編集した『芸術三重』の22号は、田村泰次郎と近藤啓太郎の特集の他、川柳の特集をしているのであって、7月の9日に三重県立図書館での田村泰次郎論(その青春と戦争)への参加を確約していた自分にとっては、また有力な資料の出現として、二重に嬉しかった。 当時自分は鳥山敬夫と県下各地を飛び回って、文芸諸組織の代表者たちと会っては、苦労して作った三重県芸術文化協会の維持と拡大に夢中になっていて、週末ごとに津に通っていた。 この雑誌のウラ広告を見ると、県立図書館での月例文学研究会では、この年「80年代をリードする作家たち」をテーマに、村上春樹、村上龍、田久保英夫、古山高麗雄らの文学を討議していることが分かる。 川柳の特集も、これが第一回で、山岸志ん児の「県下柳壇の現状」と、福田昭人の「岸本水府」という二つのエッセイの間に、県下柳人40氏の作品が収録されている。 近刊の『三川連会報』28号を見ると、すっかり陣容が変わったと思われるが、それは他の文芸部門でも同じことだ。4月29日に三重県総合文化センターで開かれた、第33回三重県川柳連盟川柳大会の出品者と『芸術三重』出品者との重なりは少ない。 その人は、この組織の参与で、その先駆者としての見識と、持続精神の健在さを示していて、何より目出度い。 ・少女期の恋をかりかりカルメ焼き ・ドロップスとないしょを缶に閉じこめて その人、木野由紀子さんの近作である。何て若々しくロマンチックであろう。 (文芸評論家)清水信 |
誌上互選より 高点句 | |||||||||||||||||||||
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