目次2月号
巻頭言 「 川柳と雅号」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・例会
・例会風景
・没句転生
特別室
・アラレの小部屋
・インターネット句会
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・みんなのエッセイ
・各地の大会案内
・編集後記

 


柳歩
柳歩整理

伴久・柳歩
武山博
 

柳歩
清水信
橋倉久美子

たかこ


 

バックナンバー
22年 1月(193号)
21年12月(192号)
21年11月(191号)
21年10月(190号)
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21年 5月(185号)
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20年 12月(18
号)
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20年 2月(170号)
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巻頭言


 川柳と雅号

 本格的に川柳を始めた場合、むかしは雅号を付けるほうが一般的だったようだが、近年は少ない。
女性には「ペンネーム」という感覚で、ちらほら見られるが、男性にはあまり見られない。 私の場合は、親不孝の埋め合わせになればと、生前の父の雅号(柳甫)から「柳歩」と名乗っているわけだが、それ以外にわざわざ雅号を用いるという必要性は感じない。逆に「柳多留」の「柳」の字が入っていることで、古くさい川柳(伝統川柳?)を作る柳人、というイメージを持たれやすいのではないかとも思っている。

 現代川柳になって、それまでの第三者的な眼で人事を詠んでいた川柳に、自己の内面を掘り下げて詠む、内省的な視点が強まってきた。
 とは言えその実態は、課題吟にではなく、もっぱら自由吟、それも「自薦的近詠」の中に限られているのだが…。

 川柳の場合「雅号」という呼称が適切なのだろうか? 俳句や短歌なら、「風雅な別名」ということで頷けるが、川柳は果たして風雅な文芸だろうか? 柄井川柳の前句付け、さらに新川柳の時代は、その反権威、反権力的風刺性を内包する文芸ということで、匿名性を必要としたのだろう。雅号というより、匿名としての仮名(かめい)的性格が強かったのではないだろうか。

 戦後の民主主義によって、個人の人権や主張が尊重されるようになった結果、仮名としての雅号は不要になった。
 更に、課題吟と違って、ほぼ自薦によって柳誌に掲載される自由吟は、恰好の自己主張の手段となった。「心象」のみならず、個人の「生活・身上報告」まで川柳にされている。これでは「雅号」も「ペンネーム」も必要ない。

 現代の川柳は、課題吟と自由吟とに「詠み分け」される傾向にあり、その姿勢は総括が必要だが、共に客観詩であることに相違はない。たとえ心象を詠む場合の自由吟でも、自己を客観視することが必要だ。もう一人の自分「ペンネーム」を持つことは、そのためにも有意義なのではないだろうか?
                                                                 柳歩

 

すずか路より
サイレンが怖い隣の火事以来 鍋島香雪
チョコよりも愛が欲しいと言う夫 山本鈴花
帰り道のれんの奥が泣いている 高柳閑雲
ど忘れに勝てない脳の老朽化 くのめぐみ
朝刊がビラのついでに届けられ 鈴木章照
新聞で包む日頃の恩返し 沢越建志
ジョギングに出たまま妻が帰らない 山本 宏
羽毛よりぬくい太陽着て昼寝 加藤峰子
また一つ子どもに還る老いの春 堤 伴久
老悴を気付きだしてる足の裏 寺前みつる
下書きの跡が残っていた賀状 山本喜禄
男の美学愛のためなら死も辞さぬ 水谷一舟
あやしつつあやされている冬の午後 小川のんの
暖をとる猫に嫉妬をしてしまう 青砥英規
振り袖の着付けに追われお正月 秋野信子
焼き芋に群がる猿を笑えない 加藤けいこ
恋人がいないとゴムが伸びてくる 西垣こゆき
古希過ぎて少々義理も欠いて生き 松岡ふみお
順当か誤算か葬儀車が走る 坂倉広美
満腹で未練の残るバイキング 橋倉久美子
一切れの差でうな丼の並と上 北田のりこ
女湯でさりげなく見る比べてる 高橋まゆみ
香典を形だけ出すおつき合い 落合文彦
ほっとする添え書きがある年賀状 浅井美津子
七草へ畑で集めてきた五草 鈴木裕子
携帯の会話はぐれた人らしい 加藤吉一
口数はカウントしない万歩計 長谷川健一
Uターン大事な話言いそびれ 竹内由起子
クレームを付けて値引きに漕ぎつける 水野 二
カイロ貼り妻と散歩も白い息 瓜生晴男
問題を解くより先に見る答え 安田聡子
ミシン目を入れる予算はないチラシ 吉崎柳歩
あっさりとしたもの癌を告げる医師 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」

    
  192号から                                       武山 博

境遇は同じかなどと紅葉散る      寺前みつる
 
周囲を見まわしても、どこも老夫婦ばかり、子供達は自立した暮らし方だ。自分を紅葉に置換して、動から静の暮らしに入る。諦観より達観の句だな。

銀行へ急ぐ金曜午後三時        浅井美津子
 
私は元銀行員で、この場面は想像できます。今は自動振替、カードの時代ですが、新しい仕組みに乗り切れない人達がいます。小生も、休日用の手元を用意して…です。

他人より汗かく蟻の物語        くのめぐみ
 
汗して働けばよい結果が出る、とは思っていないのですね。何せ蟻ですから。この句の場合、一般的には蟻を称えるのでしょうが、悲しい蟻の境遇と受け取りました。

少しだけ不幸な人と馬が合う      山本 喜禄
 
恐らく自分も少しだけ不幸だと思ってもいます。だからお互いに傷を舐めあえるのでしょう。大きな不幸を持つ人には近づけません。自分に降りかかる気がして。気楽に付き合えることを「馬が合う」などと気取ってます。

いつもの鳥が止まって店が呼吸する  坂倉 広美
 
近所に今も八百屋があります。客はやはり近所の老人ばかり。「タマネギかい?」「イヤ、タマネギだ」なんて会話が飛び交って、お互い笑顔なのがいい。勿論レジは無い。

おもかげが少し残っている笑顔    橋倉久美子
 
どんな風にも物語が組み立てられる句です。あのエクボは幼い頃のままだ。アイツと取り合ったけど、今は彼奴の嫁さんだ。俺のじゃなくて良かったよナ…?

カーナビは迷わないからつまらない  青砥 英規
 
私は妻と出かけるときは使っています。でないと喧しいから。一人のときは、道行く人に尋ねます。ぶっきらぼうな人も居るけど、親切な人も多いから。命令されないから。

勲章はしょせん誰かに見せるもの   長谷川健一
 受賞者の葬儀に出ると、大抵、遺影の下に額が並べてある。周りの人は忘れているのに。遺徳を称えるのなら弔辞の中で話せばよい。貰ったことがないからドウモ…。

芽が出ると毎日チェックする花壇   青砥たかこ
 
たかこさんの子育てはチェック方式だったのかナ。家内は元気な「オハヨウ」から始まったっけ。自分はどうしていたのだろう。思い出せない。今年ゴーヤと朝顔は失敗だった。

                                   (大垣川柳会事務局 岐阜県在住)
 

1月23日(土)例会より
宿題「 サクサク 」 青砥たかこ 選と評
  味よりもサクサク感が受けている 竹内由起子
  サクサクと落ち葉を踏んで行く余生 吉崎柳歩
 秀 サクサクでカスガイ利かぬ間柄 西垣こゆき
万歩計つけてサクサク軽い足 青砥たかこ
宿題「 まさか 」 西垣こゆき 選
  プライドも紙くずにしたJALの株 加藤吉一
  まさかとは思うが彼はミスですか 青砥たかこ
 秀 へそくりはまさかのときの常備薬 加藤けいこ
日航の株紙切れになるまさか 西垣こゆき
宿題「 まさか 」 坂倉広美 選
  良い方のまさかはめったには来ない 北田のりこ
  まさかとは思うが彼はミスですか 青砥たかこ
 秀 鶴の化身でしたと妻が打ち明ける 吉崎柳歩
まさかの時を保険屋さんが売りにくる 坂倉広美
折句「お・み・き」 清記互選 高点句
 8点 押入れにみんな突っ込み客を待つ 浅井美津子
 7点 おばさんの耳はときどき聞かぬふり 水谷一舟
 6点 大物の魅力は金と気前良さ 水野 二
  おばさんは見ないふりして聞いている 東川和子
  おしゃれしてみても夫は気づくまい 山本 宏
 5点 おんなから見ればつまらぬ恐妻家 吉崎柳歩
  おみくじも晦日にそっと吉を混ぜ 山本喜禄
  お正月三日目ちょっと休肝日 鈴木裕子
特別室

川柳学253年(2)                                   清水信 

『川柳学』が言うように、2007年が川柳250年ならば、今年は川柳253年に当るはずだ。

 前号の続きだが、川柳の源を川柳点に求めるなら、十四字詩の場合は『武玉川』に、その原点を見るのだという。
 五・七・五を三味線にたとえるならば、七・七は琴の音だろうという。

 本誌の読者は、みな反対だろうから、そんなに筆を費す気はないが、50歳で急逝した江川和美(小川かづ江)の作品を紹介したい。

・他人ばかりのふるさとを恋う
・細いうなじに恐ろしい嘘
・ゆめ売りつくしペンでささくれ

 連句をやっている人に「十四字詩」のファンが多いというのも肯ける。
 ボーダーレスの時代と言われ、それに甘えて俳句が川柳を侵犯し、川柳が俳句の領域を犯している。そこで、双方に飲み込まれそうもない「十四字詩」の存在理由が出てくると『川柳学』は言う。
 けれども、やはり「十四字詩」の不安定要素が消えたわけではない。

 大阪から「川柳二五〇年」と書いた幟(のぼり)百本を持って上京して、二五〇年祭をしたという元気は、ほどんど関西的だろう。
 さらに一葉祭に出たり、ビートたけしの「だれでもピカソ」に出演したり、文学散歩をしたり、北海道道立文学館や子規まつりや、さっぽろ雪祭に参加したり、その大奮闘は軽視できないように思う。

 大会への石原慎太郎(東京都知事)や、篠弘(日本現代詩歌文学館々長)や、やすみりえ等の祝電も披露されている。やすみりえは、川柳界の黛まどかと言われる、TVでおなじみの美人川柳作家だが、大会当日、スイスのマルテイニで開催されているアート・フェスタに出席中とのこと、川柳人口拡大のための尽力を忘れては、その充実もあり得ないだろう。

 広告欄によれば、次のような柳人の評伝が出ている由で、読みたいものだ。

・白石朝太郎論(大野風柳)
・田中五呂八論(斉藤大雄)
・大嶋涛明論(吉岡龍城)
・前田伍健論(塩見草映)
・三条東洋樹論(小松原爽介)
・浜夢助論(雫石隆子)
・川上三太郎論(川柳研究社)
・椙元紋太論(ふあうすと川柳社)

 ――白石はサムライ・スピリットで有名だし、田中はベルグソン哲学を基盤にしている由、また三条はカミソリ東洋樹と呼ばれた革命児という。

                                                                 (文芸評論家)

誌上互選より 高点句
前号開票『 去 る 』
 12 去る人の背中は的にされやすい 坂倉広美
  9 見舞客うまく去り際考える 竹内由起子
   隣まで来て去って行く福の神 山本 宏
  8   年金が出るので去りがたいこの世 吉崎柳歩
    お土産もいただいたので去るとする 橋倉久美子
   7 マイブーム去ってがらくた山になる 福井悦子
    名も告げず寄付と心を置いて去る 山本鈴花
    お見合いに場慣れだけして縁は去り 浅井美津子
    台風が去って安堵の鬼瓦 鈴木裕子
   去る時のこともそろそろ考える 岩田眞知子