|
|
目次3月号 ・巻頭言 「 小豆坂」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・ポストイン ・みんなのエッセイ ・各地の大会案内 ・編集後記
|
たかこ 柳歩整理 伴久・柳歩 伊勢星人 柳歩 |
|
巻頭言 | |
入院のお供に、家の本棚に並んでおりながら、一度も読んだことがなかった、講談社文庫・山岡荘八著「徳川家康」(全二六巻)を数冊持って行った。
手術前の少しはナーバスになっていたであろう胸に、妙にざわめきをくれたのが、この表題にもした「小豆坂」である。 ICUに半日いたとき、麻酔のはっきり覚めやらぬ脳内に、何度も夢のように浮かんできたのが、時は戦国時代、小豆坂の戦いの真最中に、幼い竹千代を抱いた於大の方(自分であった)が、岡崎城に向けて走っている姿であった。(現実にはもちろんなかった話)まるで十二単のようないでたちの私は、丸裸の竹千代を抱っこして必死で敵から逃げているのである。何度も何度も繰り返し同じ場面を見たのであった。
後日見舞いに来た息子夫婦に、「小豆坂」のことを言ってみると、よく行くスーパーまでの道すがら「小豆坂小学校」という表示があると嫁が言った。さすがに夢の話は出来なかったが、一度小豆坂周辺を、散策したいと思っていると話した。 取り敢えずは「小豆坂」に出かけて、夢の場面(?)があるかどうか、確かめたいと思っている。 たかこ |
すずか路より |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
オバサンは何でも言えて超便利 加藤 峰子
拍手の音が今年はよく響く 山本 宏
楽譜には記しきれない音がある 高柳 閑雲
ボク宛のメールでボクを確かめる 堤 伴久
足りぬのは困る余るとなお困る 橋倉久美子
年末がなければ掃除しない場所 北田のりこ
母が居るおかげお昼もちゃんと食べ 高橋まゆみ
どこへ行くんだろうみんなせわしそう 鈴木 裕子 (三重川柳協会会員・伊勢市在住) |
2月27日(土)例会より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
特別室 |
川柳学253年(3) 清水信 「川柳250年」を提唱した上、その関連行事のすべてを記録した『川柳学』10号(二〇〇八年五月刊)を貰ったのは一昨年になるわけで、大阪の新葉館出版から出されている柳誌で、そのことを書いている。 資料として、天保8年に発刊された『川柳応問集』の復刻と解説があって、それがタメになるように、エリアの外にあると思われる文芸についても、自分は目配りを忘れないつもり。 川柳二五〇年実行委員会のメンバーが列挙されているけれども、ほとんどの一人も知らないと言って良いし、『川柳キマロキ』『塔』『つくばね番傘』『おかじょうき』『川柳宮城野』『路』『川柳レモンの会』『短詩サロン』などの代表が参加しているが、この種の雑誌を見たこともなければ、今後も縁はないだろう。 でも選者たちの出身地や現在の年齢を見ると、皆それぞれ各地で頑張っているんだなと、感慨は深い。
・斉藤大雄(昭和8年生)札幌 ――こういう風である。夫々に一心に生きているのだろう。
巻末には「金井有為郎」のことが紹介されている。明治44年長野県下(現中野市)の法運寺に生まれた人。詩川柳の先駆者であった紫痴郎が横浜から長野県湯田中温泉に移住、医院を開業するに及んで師事、昭和7年柳誌『湯の村』を創刊、その編集に当った。金井21歳の時である。しかし昭和15年、内務省の指示で休刊、94号を重ねていた。
・一枚の白紙よごれる日を待てり 辞世(三句目)をふくめて、三句紹介した。さらに巻末の岸本吟一(一九二〇―二〇〇七)の追悼文から引く。その死は二〇〇七年二月二十二日だった。
・雪に死ぬとき乳房に似たる山ありき (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||||||||
|