目次3月号
巻頭言 「 小豆坂」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・例会
・例会風景
・没句転生
特別室
・アラレの小部屋
・前号印象吟散歩
誌上互選
・インターネット句会
・ポストイン
・みんなのエッセイ
・各地の大会案内
・編集後記

 


たかこ
柳歩整理

伴久・柳歩
伊勢星人
 

柳歩
清水信
橋倉久美子
柳歩


 

バックナンバー
22年 2月(194号)
22年 1月(193号)
21年12月(192号)
21年11月(191号)
21年10月(190号)
21年 9月(189号)
21年 8月(188号)
21年 7月(187号)
21年 6月(186号)

21年 5月(185号)
21年 4月(184号)

21年 3月(183号)
21年 2月(182号)
21年 1月(181号)
20年 12月(18
号)
20年 11月(179号)

20年 10月(178号)
20年 9月(177号)
20年 8月(176号)
20年 7月(175号)
20年 6月(174号)
20年 5月(173号)
20年 4月(172号)
20年 3月(171号)

20年 2月(170号)
20年 1月(169号)
以前のバックナンバー









 

巻頭言


 小豆坂

 入院のお供に、家の本棚に並んでおりながら、一度も読んだことがなかった、講談社文庫・山岡荘八著「徳川家康」(全二六巻)を数冊持って行った。
 息子家族が二年前に移り住んだ愛知県は岡崎市、以前から岡崎や豊橋方面の地名に、そこはかとない歴史の香りを感じていた私は、「徳川家康」を読み進むうちに、その思いがよけい濃くなってゆくのを感じた。  

手術前の少しはナーバスになっていたであろう胸に、妙にざわめきをくれたのが、この表題にもした「小豆坂」である。
 周知のことながら、岡崎川柳研究社の主幹、會田規世児氏は小豆坂にお住まいである。どの武将がご先祖だろうか、興味が湧く。
 手術前は、軽快に飛ばして読み進んだ「徳川家康」であったが、手術後、絶食の四日間は本を持つ気力もなかった。

ICUに半日いたとき、麻酔のはっきり覚めやらぬ脳内に、何度も夢のように浮かんできたのが、時は戦国時代、小豆坂の戦いの真最中に、幼い竹千代を抱いた於大の方(自分であった)が、岡崎城に向けて走っている姿であった。(現実にはもちろんなかった話)まるで十二単のようないでたちの私は、丸裸の竹千代を抱っこして必死で敵から逃げているのである。何度も何度も繰り返し同じ場面を見たのであった。

後日見舞いに来た息子夫婦に、「小豆坂」のことを言ってみると、よく行くスーパーまでの道すがら「小豆坂小学校」という表示があると嫁が言った。さすがに夢の話は出来なかったが、一度小豆坂周辺を、散策したいと思っていると話した。
 結局「徳川家康」は五巻までしか読破できてない。一冊が四三〇ページもあり、文字も細かいので全巻読み切るのは、年内には無理かもしれない。

 取り敢えずは「小豆坂」に出かけて、夢の場面(?)があるかどうか、確かめたいと思っている。

                                                                たかこ

 

すずか路より
脳トレの代わりになった円と元 山本 宏
ウイルスが恐くて家庭内別居 加藤峰子
飾られるだけの内裏で物足りぬ 堤 伴久
物があるより安らぎのある暮らし 寺前みつる
暖冬と確かに言った気象庁 山本喜禄
迷い箸あなたの愛に嘘がある 水谷一舟
ケンカでもあれそれこれの老夫婦 加藤けいこ
奥様と言われて父の手を離す 小川のんの
柔らかな陽差しを羽織り歩く春 青砥英規
捨てられぬカイロに温みあるうちは 西垣こゆき
立ち話犬もあきれて座り込む 松岡ふみお
つまらない仕事と思うキー叩く 坂倉広美
私のおなかで旅を終えた鮭 橋倉久美子
汚れてる方が気楽に借りられる 北田のりこ
頑張らず生きていくのも難しい 高橋まゆみ
特売をねらい我慢の日を過ごす 落合文彦
投書欄年に似合わぬいい意見 浅井美津子
個人差があるとは便利コマーシャル 鈴木裕子
郵便受け居ない主人の名も並ぶ 加藤吉一
梅開花政治も欲しいこの力 長谷川健一
ストーブの部屋で見たくもないテレビ 竹内由起子
家計簿の仕分け夫婦に波を立て 水野 二
妥協した妻の意見が腑に落ちぬ 瓜生晴男
生返事するからよけい喋り出す 安田聡子
鍋島のルーツを孫に語り継ぐ 鍋島香雪
子の歳に自分の姿重ね見る 高柳閑雲
正解の見えぬ世界で戯れる くのめぐみ
笑顔だけ見せて過ぎ去る罪な人 鈴木章照
紙コップ気楽に物を言うている 沢越建志
真央ちゃんも僕もまだまだ夢がある 吉崎柳歩
ばあちゃんいい子二歳に頭なでられる 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」

    
  193号から                                       伊勢星人

オバサンは何でも言えて超便利     加藤 峰子
 大阪のオバサンに限らず、おねえさんを卒業し、オバサンと呼ばれるようになると概して強くなる。超便利になるらしい。オジサンは黙って行くしかない。

拍手の音が今年はよく響く       山本  宏
 
宇治橋が新しくなって初の正月。内宮さんは多くの参拝客で賑わっていた。こんな世だから、いろいろな願いを込めた拍手が神前に、神は聞かざるを得ないだろう。

楽譜には記しきれない音がある     高柳 閑雲
 
楽譜にそんなスパイスが利かしてあるとは、だから聴き手が感動し名曲として後世に残っていく。川柳も同じ、読み手を満足させるような句を、いつも心がけているのだが。

ボク宛のメールでボクを確かめる    堤  伴久
 
ボクが元気かどうかを、食欲はあるか、酒は美味いか、女性に興味はあるか、そして作句に意欲はあるか。自分で自分を確かめるほかないのだ。

足りぬのは困る余るとなお困る     橋倉久美子
 
この禅問答は何。お金ではなさそう。御節料理が無難か。私事で海老と蟹が二家族八人の腹へ、老夫婦は見ていただけ。足らなかったのか、余らなくてよかったのか。

年末がなければ掃除しない場所     北田のりこ
 
几帳面なのりこさんもですか。年末があるから掃除ができ綺麗になり気分がよくなる。雑煮を戴けるのも、初詣でするのも正月があるからの逆説的発想がいい。

母が居るおかげお昼もちゃんと食べ   高橋まゆみ
 
母のおかげではよいことが多く、父のおかげではよいことが少ない、が一般的。その方が平和なのだろう。夫がリタイアしたおかげ、と妻は思っているだろうか

どこへ行くんだろうみんなせわしそう  鈴木 裕子
 
お隣りのご夫婦がよく留守をする。この寒いなかどこへ行くのだろう。渋滞している国道をイライラと車、何の用があるのだろう。羨ましでなく、せわしそうの醒めた目がいい。

                                   (三重川柳協会会員・伊勢市在住)

2月27日(土)例会より
宿題「 表 」 吉崎柳歩 選と評
  表面はいつも春です私流 青砥たかこ
  表から行くと入場料がいる 橋倉久美子
 秀 正誤表見てくれるとはかぎらない 北田のりこ
表札は今も亡夫が世帯主 吉崎柳歩
宿題「 立てる 」 加藤吉一 選
  まっすぐに立てると胸を張る案山子 橋倉久美子
  代役を立てるしかない花粉症 吉崎柳歩
 秀 春になれなれしっかりと泡立てる 東川和子
看板を立てさせて知る土地の価値 加藤吉一
宿題「 立てる 」 東川和子 選
  ベテランの余裕脇役立てている 坂倉広美
  また遅い卵を立てて待つ私 加藤峰子
 秀 波風を立てるとなりのおばあちゃん 青砥たかこ
春になれなれしっかりと泡立てる 東川和子
席題「 手術 」 清記互選 高点句
10点 手術までいくつハンコを押したやら 東川和子
 9点 手術では浮気の虫は除けない 吉崎柳歩
  かんたんな手術と言うが検査漬け 吉崎柳歩
 8点 死んだふりしてはならない手術室 橋倉久美子
 7点 小旅行そんな感じの手術です 加藤峰子
 5点 手術したらしい噂の顔が来る 坂倉広美
特別室

川柳学253年(3)                                   清水信 

「川柳250年」を提唱した上、その関連行事のすべてを記録した『川柳学』10号(二〇〇八年五月刊)を貰ったのは一昨年になるわけで、大阪の新葉館出版から出されている柳誌で、そのことを書いている。

 資料として、天保8年に発刊された『川柳応問集』の復刻と解説があって、それがタメになるように、エリアの外にあると思われる文芸についても、自分は目配りを忘れないつもり。

 川柳二五〇年実行委員会のメンバーが列挙されているけれども、ほとんどの一人も知らないと言って良いし、『川柳キマロキ』『塔』『つくばね番傘』『おかじょうき』『川柳宮城野』『路』『川柳レモンの会』『短詩サロン』などの代表が参加しているが、この種の雑誌を見たこともなければ、今後も縁はないだろう。

 でも選者たちの出身地や現在の年齢を見ると、皆それぞれ各地で頑張っているんだなと、感慨は深い。

・斉藤大雄(昭和8年生)札幌
・北野岸柳(昭和21年生)青森
・雫石隆子(昭和21年生)宮城
・大野風柳(昭和3年生)新津
・天根夢草(昭和17年生)島根
・大川幸太郎(大正12年生)東京
・脇屋川柳(大正15年生)東京
・尾藤三柳(昭和4年生)東京

 ――こういう風である。夫々に一心に生きているのだろう。

 巻末には「金井有為郎」のことが紹介されている。明治44年長野県下(現中野市)の法運寺に生まれた人。詩川柳の先駆者であった紫痴郎が横浜から長野県湯田中温泉に移住、医院を開業するに及んで師事、昭和7年柳誌『湯の村』を創刊、その編集に当った。金井21歳の時である。しかし昭和15年、内務省の指示で休刊、94号を重ねていた。
 戦後、『奥しなの』を創刊、主宰となった。川上三太郎、岸本水府、前田雀郎ら多くの文人の中野詣でが続いたという。昭和50年没、69歳だった。

・一枚の白紙よごれる日を待てり
・昇給のあてなき石油コンロです
・いのち今足音たてて遠去かる

 辞世(三句目)をふくめて、三句紹介した。さらに巻末の岸本吟一(一九二〇―二〇〇七)の追悼文から引く。その死は二〇〇七年二月二十二日だった。

・雪に死ぬとき乳房に似たる山ありき
・鮎に似て女はいつも雨を待つ
・想うことあり象は自分で沼へゆく
・母一人子一人夜は阿波言葉

                                                                 (文芸評論家)

誌上互選より 高点句
前号開票『 無 駄 』
 16 使わない機能も込みで買わされる 吉崎柳歩
  9 勝ち目の無い候補へ義理を入れに行く 堤 伴久
   無駄すべて削って寒い部屋にいる 橋倉久美子
    気晴らしという有意義な無駄遣い 吉崎柳歩
   7 ダイレクトメールそのままゴミになる 岩田眞知子
   6 安売りの青菜が枯れた台所 山本鈴花
    生きていく節目に無駄な酒も飲む 水谷一舟
    無駄だとは思いたくない美容院 岩田眞知子