目次8月号
巻頭言 「 球児の夏」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・例会
・例会風景
・没句転生
特別室
・アラレの小部屋
・インターネット句会
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・みんなのエッセイ
・各地の大会案内
・編集後記

 


柳歩
柳歩整理

伴久・柳歩
福井悦子



清水信
橋倉久美子

たかこ


 

バックナンバー
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22年 6月(198号)
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巻頭言


 「 球児の夏」

  私の母校ではないが、鈴鹿市の白子高校が、惜しいところで初の甲子園出場を逃した。
 三重県勢は、なかなか甲子園で一勝できないのである。代表になった「いなべ総合学園高校」には、白子高校の分まで頑張って、どんどん勝ち進んで欲しいものだ。

 幼馴染みに、T君という野球少年がいた。私より一歳年長だが、物心ついた時から一緒に遊んでいた。同じ社宅に住んでいて、家族ぐるみの付き合いだった。
 T君は運動神経が抜群で、相撲以外は、何をやっても彼には勝てなかった。 小学校の五十メートル走の、彼の最速記録は、卒業した後もしばらく破られなかったようだ。 

 中学校の時には野球部に入り、投手として活躍した。高校は、徳山市(現周南市)の山口県立徳山商工に進学し、もちろん野球部で活躍した。
  私は高校一年のとき、父の定年退職で社宅を出て、徳山高校から鈴鹿市の神戸高校に編入したのであるが、夏休みには、防府市の姉の嫁ぎ先に帰省していた。二年生の時に帰省した折りには、夏の甲子園大会山口県予選に臨む日、彼の道具運びをしたことがあった。

 残念ながら甲子園出場はならなかったが、卒業後、彼は野球の技量を買われて、大阪の、当時八幡製鉄に就職し、社会人野球の選手となった。

 私が二十歳を過ぎたころ、四日市の職場から彼に電話したことがあった。
 「正月に帰省するのなら、徳山で会おう」と言ったのだが、帰れるかどうか分からない、とのことだった。

 「成人の日」も過ぎたある日、職場から帰宅すると、「Tちゃんが亡くなったってよ」と、母から一通の手紙を渡された。成人式前後に帰省して、野球仲間と飲みに出かけ、未明にタクシーに撥ねられたらしい。「あまりのことに涙も出なかった」と、T君の母親の手紙に書かれていた。社会人になってT君と再会することは叶わなかった。

 今年も、熱い球児の夏が来た。

                                                                  柳歩

 

すずか路より
ハイビスカスが咲くと聴こえるハワイアン 長谷川健一
気が付けば独り暮らしの友ばかり 竹内由起子
セールスへ身の上話して帰す 水野 二
明け方に浮かんだものを書き留める 竹口みか子
夕立に留守を狙われ雨晒し 瓜生晴男
窓越しで草の元気をみてるだけ 安田聡子
持ち運び自由気楽に読む柳誌 鍋島香雪
不快指数増すと出番のヘソルック 鈴木章照
目分量なんて都合のいい言葉 沢越建志
注連縄が手綱に見えた夫婦岩 山本 宏
致死量の手前の薬飲まされる 高柳閑雲
麻雀の師匠やんわり月謝とる 加藤峰子
速達で出して誠意を見せておく 青砥英規
ダイエットおやつが宙をまわってる 秋野信子
ウン十年積もった泥に棲み飽きる 堤 伴久
携帯におかけください家内なら 山本喜禄
礼儀知らずのハンカチですね場所をとる 水谷一舟
ハードルをオグリキャップと越えてきた 加藤けいこ
雑草と追いかけっこで負けている 廣瀬まさこ
しゃべるまであなた女と思ってた 小川のんの
シンバルは失敗できぬ音を出す 西垣こゆき
乾く喉ビールの為に取っておく 松岡ふみお
執念か惰性か生きている疲れ 坂倉広美
ここからいっしょに月見たこともあった窓 橋倉久美子
掛け声をかけても動かない体 北田のりこ
マスクしていたからできた大あくび 落合文彦
生ものと言われ中元すぐに開け 浅井美津子
ご近所とみな仲よしを羨まれ 鈴木裕子
検査入院朝から風呂の順が来る 加藤吉一
宴から宴余生も忙しい 吉崎柳歩
来年の予定も少しずつ埋まる 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」

    
  198号から                                      福井悦子

手を少し添えたら出来た逆上がり    浅井美津子
歩きたい父の意欲に手を添える     小川のんの
 
一人では無理だと思われることでも、側からのちょっとした支えで可能になることは少なくないのだろう。
お二人の手の温みがじんわり感じられる句。

認知症の予防菖蒲湯に入る       長谷川健一
記憶力落ちた痴呆の入り口か      落合 文彦
 
川柳の仲間には、瑞々しい感性を持った先輩や同輩がいっぱい。呆け防止にと言うのは、ちょっと甘すぎますが、右脳左脳をフル回転して作句に励みましょう。エッ!予防に、菖蒲湯がいいのですか。

愛犬に急かされ今日も海に行く     竹口みか子
 
私の住んでいる岐阜には大きな湖も海もない。海辺を散歩するのが日課だなんて羨ましいなぁ。

楽しみなパワースポット雨の中     竹口みか子
 
ご当地の鈴鹿椿大神社は、縁結びのパワースポットとして参拝者が増えているそうだ。パワーが貰えるなら雨の中だってネ。

へそくりが発覚妻の怒り買う      瓜生 晴男
 
私のものは私のもの。あなたのものも私のもの。奥様は内心ほくそ笑んでいらっしゃるかも…。

うどんにも憂さがあるのか吹きこぼれ  加藤けいこ
 
そうだったのか。うどんにも憂さがあるのか。うふふ…。妙に納得させられ、愉快な気分になりました。

どこをどう歩いても良し万歩計     吉崎 柳歩
 
万歩計をつけていると、一歩たりとも無駄に出来ない気持ちになります。エスカレーターなど勿論ご法度。
今年の大会は東樽から駅まで歩きましたよ。

もてなしの気持ちをフワリ包み込む   青砥たかこ
 
第八回鈴鹿市民川柳大会ご盛会おめでとうございました。フワリ包み込まれたおもてなしの気持ちに今年も心地よく楽しませていただきました。

                                  (各務原市在住・名古屋番傘同人)

7月24日(土)例会より
宿題「 閉じる 」 吉崎柳歩 選と評
  戸を閉めるしつけを猫にしてほしい 青砥たかこ
  示談書を閉じて「女は魔物です」 坂倉広美
 秀 女を閉じるガタピシとさせながら 東川和子
閉じ方も大事名のある人だから 吉崎柳歩
宿題「 乾く 」 加藤峰子 選
  若い時勉強しすぎ目が乾く 長谷川健一
  ひからびた心あなたの声を待つ 青砥たかこ
 秀 もう少し乾くと空も飛べそうだ 橋倉久美子
乾きすぎ「水分くれ」と言う小じわ 加藤峰子
宿題「 乾く 」 北田のりこ 選
  ひからびた心あなたの声を待つ 青砥たかこ
  水はけのいい心ですすぐ乾く 吉崎柳歩
 秀 涙には自分で乾く力ある 長谷川健一
生乾きの決着 くすぶりが続く 北田のりこ
互選「席題 汗 」 高得点句
11点 催促をする方だって汗をかく 東川和子
 9点  居酒屋に稼いだ汗を捨てに来る 水野 二
 8点 加齢臭まじっていない僕の汗 吉崎柳歩
  汗かいているほどでない仕事量 坂倉広美
 7点 司会者が一番汗をかいている 東川和子
  裏方の汗は言葉で報われる 吉崎柳歩
  汗少しかいて媚び売る瓶ビール 橋倉久美子
特別室

紙類絶滅考(2)新聞
                                            清水信 

   ペーパー・レスの時代がくるという。
 何だかユーウツである。
 一方で国民読書年を立ち上げたり、「教育に新聞を」という運動にハッパをかけたり、国際ペン東京大会を開いたりしている。そのちぐはぐが、何とも哀しい。

 自分は新聞が大好きだ。
 昭和11年(一九三六年)自分は、初めて新聞に夢中になった。その年、二・二六事件が起り、阿部定事件もあった。
 太宰治の『晩年』が出版され、『風と共に去りぬ』も刊行された。スペインで内戦が始まり、ベルリンでオリンピックがあった。映画では「人生劇場」「モダン・タイムス」が評判をとっていた。

 そして何よりも、その翌年、永井荷風の『濹東綺譚』がアサヒの夕刊に連載されて、文学に対して眼を開かれた時期でもあった。昭和12年には盧溝橋事件が起り、日中戦争が幕を切った。

 テレビのない時代で、社会や外部の情報源としては、ラジオと新聞しかなく、時間の自由を保証してくれる新聞に、とりわけ自分は熱中していた。プロ野球の記事も、戦争の記事も同じように、中学三年生から四年生にかけての柔軟な自分の脳髄に沁み込んだ。

 新聞を開いた時の紙とインクの匂いは、格別に魅力的であった。もちろん、今より紙もインクも上等ではなかったろうから、匂いはきつかったのだと思う。

 今、明らかに新聞は斜陽である。また活字の大きくなることも、全面広告がやたらに多くなったことも、その一証であるが、県内文芸欄の統合も、その一例である。東海版になって文芸欄の歌壇に載った首位の作を引く。

・寂しくてついつい水をやりすぎる君が残していったシクラメン

 わが橋倉久美子の作であり、うれしかったので、切りとっておいた(5月2日号)。

 ともあれ、国民の新聞離れは大且つ急で、どうにも止まらない。それは、世界的な現象で、わが国だけの事情ではないのだが、どこの地区でも購読数は全戸数の半分以下になり、夕刊は十分の一に及ばないという。特に若者の新聞離れが予想外に拡大しており、夕刊の廃止は必至の情勢である。

 全面広告は、あたかも、その没落直前の華やぎであって、後世研究に足る素材になるだろうと、自分はその収集を始め、今や百枚を超す量となった。やけのやん八と言えば、そうだが、そこに最後のアイディアをふりしぼっている企業や広告マンの必死の姿勢を評価しているのである。鷗外の句。

 筆とれば若葉の影す紙の上

                                                               (文芸評論家)

誌上互選より 高点句
前号開票『 まぼろし 』
  9 手紙焼きまぼろしだったことにする 橋倉久美子
  8 まぼろしの恋でときどきリフレッシュ 鈴木章照
   まぼろしにさせてはならぬマニフェスト 鈴木裕子
   7   「幻」と付けば水でもありがたい 西垣こゆき
     まぼろしにするにはリアルすぎる傷 青砥たかこ
   6 ちちははのまぼろしだろう蛍舞う 高木みち子
    まぼろしと解っていても追ってみる 山添幸子