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目次9月号 ・巻頭言 「 チェンジ」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・インターネット句会 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・お便り拝受 ・各地の大会案内 ・編集後記
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柳歩 整理 柳歩 吉崎柳歩 永井玲子 柳歩 |
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巻頭言 | |
アメリカ大統領選挙におけるオバマさんのキャッチフレーズ「チェンジ」を拝借して、日本でも今回の選挙で民主党が圧勝して、政権交代を実現した。 |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
気がつけば女難が消えていた手相 山本 宏
何時でも目覚めれば朝わたし流 山本 喜禄
給付金ぶくぶくぶくと泡になる 沢越 建志
究極のエコだろうなあ手洟かむ 鈴木 章照
鏡にはよい姿しか見せてない 青砥 英規
お返しのカタログで選るいらぬ物 橋倉久美子
「行ってらっしゃい」となんだか嬉しそう 北田のりこ
お帰りの声はとびきりはずませる 高橋まゆみ
夾竹桃の図々しさを見習おう 吉崎 柳歩
やりくりをすれば時間も貯まるはず 青砥たかこ (川柳展望社会員 箕面市在住) |
8月22日(土)例会より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
口語文芸考 清水信 鶴彬のことを長々書かせてもらったが、俳句で言えば、赤城さかえが生誕百年である。父は東大教授で国文学者の藤村作。その三男として広島に生まれた。両親は教育者だったが、反発するように、地下活動に入り「赤旗」編集部に所属した。東大卒後、松永妙と結婚、長女燿子を得るが、坐骨神経痛のため召集を解除される。昭和13年には、北海道の鉱山ストライキのため、単身赴任、昭和15年結核発病、その頃から句作をはじめ、加藤楸邨へ師事、『寒雷』『沙羅』に拠って活動。 第一句集『浅蜊の唄』は昭和29年刊。清瀬村の国立療養所、東京第一病院、東京癌研究所などに入退院をくり返す内、離婚。第二の妻山崎聡子と再婚し、横浜に移住。 昭和42年、結腸癌のため58歳で死去したが、晩年は『赤旗』『国鉄文化』『人生手帖』『全逓新聞』『療養新聞』等の句壇選者を勤めた。評論集に『俳句におけるリアリズム』がある。
・ふきげんに似て懐手いつまでも その若き日の活動ぶりがよく分かる句である。藤村作は戦争中、北京で教職についていて識っていたが、その帰国を迎えての作がある。 ・青柿や父子相逢へば国憂ふ このごろ、児童文学者の藤村純子と相識るようになり、いっそうその縁の不思議を思っている。口語文芸への挑戦を試みた作品を挙げる。
・浅蜊鳴かせ国への愛憎根かぎり 赤城作品を読むと、自浄の思いに駆られると原子公平は言った。国を憂うることで入党していたのだ。清瀬時代、石田波郷や吉行淳之介と交流があって、一種のダンディを貫いた人でもあった。 嶋田青峰の『土上』同人だった芝子丁種と激しい論争をしたが、赤城さかえの転向のいきさつや、「蔓延している現実べったりの、報告型表現」(望月たけし)への戦いや、口語文芸への傾倒を理解しないではおれない。 その反体制の姿勢は、百年の歴史の中で輝いていると思われる。 (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | |||||||||||||||||||||
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