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目次10月号 ・巻頭言 「 カバー曲と著作権」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・特別エッセイ みんなのエッセイ ・ポストイン ・お便り拝受 ・各地の大会案内 ・編集後記
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たかこ 整理 柳歩 吉崎柳歩 久保光範 柳歩 |
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巻頭言 | |
最近テレビのバラエティ番組で、若手のお馬鹿キャラが、昔流行った流行歌を「カバー」してCDを発売したのを聴いた。「ラブイズオーバー(欧陽菲菲)」や、「さよならの向こう側(山口百恵)」などを、本人の歌唱力で自分のものにしていた。 これを見ていて、思ったのが川柳での「暗号句」である。無意識なのだろうが、過去の作品と合致したりすると、完全に人のものをそのまま丸写しした(剽窃・盗作)と思われても、仕方がないものもある。これはわかった時点で、速やかに抹消されるべきであるし、そうしてきているようだ。 ところが、この「カバー曲」にいたっては堂々と、歌詞も作曲もまるきり同じものである。音楽協会のことなど知るよしのない私、ここは、ネット(Yahoo!知恵袋)で調べることにした。気になったことは、過去に流行った曲を使うに当って、それを最初に歌った歌手に、どのような了解を得るのかと、どれくらいの「著作権」を払うのかだ。曲を使用するのに、基本的に本人同意はないそうだ。「JASRAC(日本音楽著作権協会)」に届出さえすればよいそうだ。「著作権」は作詞者と作曲者に「印税」が行ってしまうことでけりがつく。したがって「カバー」して歌う歌手には、利益は少なくなるが、その「印税」の残り分が収入になって、あとは何も問題はないそうだ。 私ごときがつまらない心配をする必要はなかったようだ。心に残る名曲だからこそ「カバー」され、また違う世代の胸に迫り、歌われてゆく。 川柳も、心に残る一句が誰にもあると思うが、焼き直しをしたりして発表をしてはいけない。多読を心がけている人は、潜在意識として脳の奥深くもぐりこんで残ってしまい、題詠句などで、引き出してしまうこともあるかと思う。毎日何万句と生まれている、川柳の宿命とは思うが、自分の個性を改めて見直し、常に心して作句をしていきたいものである。 たかこ |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
すずか路を拝見して、投句者の多さに驚きました。いい句がたくさんあって選びかねました。
雨の午後逢わねばならぬひとがいる 水谷 一舟
楽しめた映画ストレスぶっ飛ばす 青砥たかこ (名張市在住) |
9月26日(土)例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
口語文芸考(2) 清水信 『口語俳句』という雑誌がある。この度その復刊1号が出た。春日部市小渕山下2172まつもと・かずやが発行元である。
昭和23年、市川一男によって、口語俳句出発の宣言がなされ、その機関誌である『口語俳句』が刊行された。 もちろん、自分も稿を寄せて、まつもとさんは自ら、口語文芸百年の歴史にけりをつけようと思っているのだと書いた。孤軍奮闘といっていい、その長い歴史に共感せずにはおれないのである。口語俳句とは、どんなものか、例を引いて見る。もちろん無季であり、575より句型は必らず長い。
・ピアス光らせ戦争は何でもないといいきかせる国 (まつもと「昭和拾遺集」より) 本誌では、まつもとの「山がこころのレジスタンス」や水谷六子句集『まひる』評の他、金子昌熙のハンセン病文学への論考、平岡久美子の「私の句会」と共に「脳トレ川柳から視えてくるもの」という上月大輔の好論がある。
・夕ぐれの神田駅のラッシュに大熊手一つどこへいくのか これらは、水谷の『まひる』の中から選んだ作。山本薩夫の『私の映画人生』(新日本出版刊)の書評に心魅かれるものの、ここには、さらに平岡久美子の近作を拾っておこう。
・イマジンを歌う若者のうしろから兵はイラクへ (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||
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