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目次新年号 ・巻頭言 「 寅年のこと」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・ポストイン ・みんなのエッセイその他 ・年賀広告 ・編集後記
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たかこ 柳歩整理 堤 伴久 前田咲二 柳歩 |
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巻頭言 | |
皆様、明けましておめでとうございます。お正月はいかがお過ごしでしたか? 私は元旦も仕事で、たくさんの年賀状に囲まれて過ごしました。 今年は「寅年」 「剛の寅」「強の寅」とよく言われるが、正しくは「五黄の寅」である。五黄とは、九星のひとつ「性質は豪気大胆、情深く、思い立ったことは是が非でも押し通さねば気がすまないところがあって、人から憎まれる。また器用で何事にも優れた才能を発揮するけれども、中には何事もできない人もいる。行をつつしみ、人と争いをしなければ、実にたぐいまれな幸運の星」だそうである。
寅年生まれの一代運勢は「果敢に決断して、よく困難に耐え、進取の気性に富み思慮分別があり競争心が強い」 頂いた年賀状に登場した「とら」を二作ご紹介する。
トラの子の年金だけで生きている アメイ |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
本心を言えばとりかえしがつかぬ 橋倉久美子
ゴミ出しへまた確かめている曜日 山本 喜禄
思い出を美化して今日を締めくくる 高柳 閑雲
七五三松竹梅がある祝詞 萩原 典呼
CMを入れる時間をこじあける 坂倉 広美
風邪の喉やさしく撫でていく葛湯 北田のりこ
それぞれの趣味で夫婦にあるゆとり 浅井美津子 |
12月26日(土)例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
川柳学253年(1) 清水信 大阪の人から『川柳学』10号を戴いたのは、一年半も前のことだ。初めて見る雑誌だったが、120ページのわりには1500円と割り高の雑誌だ。『川柳マガジン』も出している老舗らしいが「川柳二五〇年」の特集なので驚いた。 二〇〇七年は「川柳」という名称が世に出て、二五〇年という節目の年で、川柳学会が中心になって「川柳二五〇年実行委員会」を立ち上げ、記念事業を次々と開催したのだ。 「川柳」という名称が固定的になったのは明治だが、その元となったのが、柄井八右衛門の俳名「川柳」で、その名が世に現れて二五〇年。江戸の浅草、現存する天台宗龍宝寺の名主で、40歳の時(一七五七年、宝暦7年)前句付の宗匠となり、その8月万句会を開いた。それが文芸川柳の初まり。 二〇〇七年八月二十五日に東京都台東区生涯学習センターで「川柳二五〇年式典」が行われ、文化庁や東京都からの出席もあり、三四八名が参加。山下一海教授の「蕪村の諧謔」の後、句会に入ったという。 他に「川柳展」もあり、『川柳百面相』や『目で識る川柳250年』という記念出版もあったという。後者は2940円の大冊で、まだ見る機会がないが、史的資料としての価値は大きいか。 表紙に「十四字詩」とあり、基調提案として、
尾藤三柳「十四字の発生と発展」 の三篇があり、この主張が、多くの川柳結社の反発を買っているかも知れないと推察する。 佐藤美文の文章に拠れば、『あだら』を創刊、埼玉川柳社の主幹であった清水美江(昭和53年、84歳で死去)が定年後創刊した『風』で提唱したのが「十四字詩」だという。雑詠を大切にした川柳の一形態という考えでいいらしい。 『風・十四字詩作品集』から引く。
・空青すぎて嘘の戸惑い (岩田柳堂) 『武玉川』の短句を阪井久良伎が『五月鯉』で紹介したことに始まると言われるが、小島六厘坊その他から「川柳であるかないか」の異論が出され、藤村青明は専門誌『轍』を創刊したが、二号でつぶれたという。 (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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