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目次5月号 ・巻頭言 「 春・出会いと別れ」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・インターネット句会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・みんなのエッセイ・その他 ・大会案内 ・編集後記
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たかこ 柳歩整理 柳歩 加藤けいこ たかこ 柳歩 清水信 久美子 柳歩 |
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巻頭言 | |
日本の四季で一番華やかで美しい春、その三月・四月は、別れと新たな出会いの時期でもある。今年は突然の別れで多くの人たちが今も悲しみに暮れている。さっきまで一緒にいた人が津波にさらわれ、二度と会えないことになろうとは誰が想像したであろうか。心からお悔やみを申し上げたい。 四月二十二日、堺番傘川柳会ではなかたたつおさんの追悼句会が開催された。哀しい別れである。先月の柳歩さんの巻頭言でも書かれているが、鈴鹿川柳会にとって本当に大恩ある方。病み上がりとはいえ、何をおいても行ってお別れとお礼を言いたいと思った。
たつおさんとの出会いは運命的なものがあったと今も思っている。拙誌「リレー鑑賞」で九十九人目はたつおさんと最初から決めていた。その時に記するつもりだったが、私が会長になって第一回大会を開催することに決めたころ、柳歩さんの所属されている「めいばん」に挨拶に出かけた。そこにちょうどたつおさんが明子さんとの結婚の挨拶に来られていたのである。句会のあとの二次会で、たつおさんは柳歩さんと私に鈴鹿を応援させていただく、と強い言葉を下さった。多くの方に声をかけていただいたおかげで、大阪方面から、また番傘の関係の方がたくさん来てくださった。
そして、たつおさんが息を引き取られたのは、私が検査の後、血圧が異常に下がりICUで苦しんでいた頃だったと後で教えられ驚いた。たつおさんの分まで生きなきゃと強く思っている。 たかこ |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
酒粕の甘酒に酔う下戸の僕 瓜生 晴男
実像を知ってがっかりした男 鍋島 香雪
三回忌終えても慣れぬ独り酌 鈴木 章照
ぶちまけて聞いてほしいと思った日 西垣こゆき
素顔さえ無論心も見せぬ仲 松岡ふみお
移植先の臓器の長寿まで祈る 加藤 吉一
うんちくをひけらかされて縮こまる 青砥たかこ 気まぐれで、川柳というのれんをくぐったけれど、敷居際で立往生をしています。 (鈴鹿川柳会会員 四日市市在住) |
4月23日(土)例会より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
芭蕉転居の謎『深川芭蕉稲荷大明神』評 芭蕉突然の転居は、妻の不倫のためであった。こういうスキャンダルを、文学史や作家論の中に導入することを非難する人は多いが、自分はそれには異論がある。文学は人間存在の根源にかかわる問題だから、スキャンダルもまた人間の一部であって、これを避けるべきではないと思う。 小山栄雅は、すでに30冊に及ぶ著作を持つベテラン作家であるが、最近刊の短篇集『深川芭蕉稲荷大明神』(檸檬新社刊)には、10作の短篇小説が収録されているが、巻頭の一作が「深川芭蕉稲荷大明神」であり、巻尾の一篇が「芭蕉、悟る」であるから、芭蕉の人生観が、メインテーマとなっていることが分かろう。 芭蕉が隠居をきめこんだ37歳といえば、現在では青年のどまん中、しかもクチバシの黄色い年齢といって良いのだが、当時はちがう。 寿貞は内縁の妻で、生活を共にし、子供も一人もうけた。一方、16歳になる姉の子供を伊賀から連れてきて住まわせていた。芭蕉が、やれ句会だとか、やれ吟行だとか、やれ個人レッスンだとかで、家を空けることが多くなり、この二人は心を寄せ合い、関係ができた。 寿貞は24歳で、愛弟子・桃印(甥)は年下の20歳であった。妻と愛弟子とに二重に裏切られた口惜しさもあったが、何よりもこの密通が表沙汰になることを怖れたのである。当時、密通は大罪であった。それを世間から隠すには、この二人をすてて、自分が身を隠すことが、一番だと思ったのだろう。 盛り場といっていい日本橋小田原町の借家から、ひとり深川へ居を移した。 殷賑を嫌って、田舎へ移った謎を、解明する、これは一般論だが、「深川芭蕉稲荷大明神」は異説を提出している。 つまり、深川は異形の者や河原者の住んでいた所ではなかったのか。能役者や飴売りや置き薬屋や、商人の恰好をしておれば関所を通りぬけられるスパイたちが住んでいて、藤堂藩から援助を受けていた芭蕉にとって、そここそが安住の地だったのではないのか、という見解がある。 若い二人の逐電を知りながら、その不実を許した芭蕉は、深川大工町にある臨済宗の仏頂禅寺を訪ね、参禅している。やがて彼は剃髪して僧形となり、翁と称したが、たかが俳諧の道とは言えども、命がけだったことが良く分かる。20枚の短篇を集めた本書の力強さの所以である。 ▼東京都港区三田4・1・29 小山栄雅 (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||
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