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目次1月号 ・巻頭言 「 川柳と百人一首」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・インターネット句会 ・みんなのエッセイ・その他 ・大会案内 ・年賀広告 ・編集後記
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たかこ 柳歩整理 柳歩 中 博司 たかこ 柳歩 清水信 橋倉久美子 柳歩 |
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巻頭言 | |
新年のこの挨拶も、年末に届く柳誌ではなんとなく空々しい言葉だが、新年一月もすでに半ばとなってからは、少し興ざめの感もある。三が日は狭いはずの日本列島、天候にかなりの幅があったようだ。 すでに周知のことだが、今年の大会は柳歩さんが、句集「瓶の蓋」を発行予定である。句集には「謹呈」の紙が挟まれる。これは、大会参加会費は例年通りいただくということで、句集代金が含まれていないからである。太っ腹な柳歩さんらしいと言えそうだ。
さて「表題」の百人一首といえば「小倉百人一首」で、鎌倉時代藤原定家が京都の別荘「小倉山壮」の襖に、有名な歌人百人の歌を一首ずつ張ったから名づけられたそうだ。いつの頃までか、出版社の名前かと思っていた私。 花の色は移りにけるないたずらにわが身世にふるながめせし間に 作者は、絶世の美女小野小町。 川柳も俳句も和歌から枝分かれをしてきているのだが、この歌は川柳的要素が濃いと思える。だが、川柳的に言えばこの歌は「狂歌」ではないか? サラ川ならぬサラ歌と言えそうだ。 世にふるの、ふるは「経る」と「降る」に、ながめは「眺め」と「長雨」に言葉がかけられている。文芸的には奥が深い、高尚なダジャレなのだろうが…。 (むなしく時を過ごしている間に、私の美しい姿も、長雨に打たれた桜のはなのようにおとろえてしまったー) ぼんやりとしていられない私は、ときどきこの歌を思い出しては、美しくなくてよかった、花が散るたび自分の身を嘆くこともなくて、と思うのだ。 たかこ |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
平和ボケ検事が被告席に居る 堤 伴久
言い訳が完璧すぎて怖くなる 小出 順子
肌身離さず持っているから傷もつく 橋倉久美子
貯金箱の出口は見ないことにする 北田のりこ
ご主人が倒れ夏草よく繁る 加藤 吉一
空耳であなたの声を聞いた午後 竹口みか子 (やまと川柳社同人 奈良県在住) |
12月25日(土)例会より | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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特別室 |
句集『オホホホホ』
処女句集『オホホホホ』を、このほど刊行した鎌田志賀子は、89歳であって、元気だ。現代の高齢化社会のプラス面を象徴するような女性である。
という代表句から、句集名はとられている。句誌『河』624号が、その小特集を組んでいて、若宮和代、伊藤実那、工藤進の三人が書評を寄せ、その代表作のほとんどを紹介している。
テレドラに泣いて三つめの桜餅 敗戦時に、まだ20代半ばであったのに、戦中の軍国化教育を推進してきた罪業を恥じて、きっぱり教職を辞し、肉体労働に身を切り替えたという、その人生観を見ても、性根のすわっている女性と分かろう。角川春樹が序で、真のユーモアは、「ある種の年齢や経験が不可欠で」あって、そこからにじみ出るものしか、人の心を衝たないと言っているのも正解だろう。つまり、人生の達人にしか出せないユーモアこそが、本ものだということだ。
ケセラセラ冬至南瓜でありにけり
これらの作からは、放浪や旅を夢見ながら、我慢した文学主婦のうめきの声が聞こえてくる。
私亀です 鳴いてもいいかしら 夫や子に先立たれての感懐という。でも、暗くない。(河それから@) (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||
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