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目次8月大会号 ・巻頭言 「 句はわが子」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・インターネット句会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・みんなのエッセイ・その他 ・大会案内 ・編集後記
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柳歩 柳歩整理 柳歩 犬塚こうすけ たかこ 清水 信 久美子 たかこ |
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巻頭言 | |
この度刊行した拙著『瓶の蓋』には、わが子、四百五十句を収録した。数は少ないが、晴れて賞をいただいたわが子もいれば、一見、取り柄のないようなわが子もいる。しかし、改めて、どの子も分け隔てなく、可愛いわが子であることを実感させられた。 今回句集を読んでいただいた方々からたくさんの感想なり共感句を挙げていただいた。元より単純構造の私の左脳と右脳から生まれ出た子供達、平明な句ばかりである。深読みをされての共感句はほとんどなかったと思う。 何十句も挙げて下さった人、一句だけ挙げて下さった人、まちまちであったがどれも悪い気はしない。どの句を、いや、どの子を褒めて下さっても親としては嬉しいものである。褒めて(共感して)下さった人が川柳作家であろうと、川柳は全くの素人であろうと関係ない。「この人は、この子のいいところを解って下さったのだ」という気持ちになれるのである。 川柳は人間諷詠の詩である、と言われる。もっと言えば私は、「川柳は人生折々のスナップ写真」ではないかと思っている。それぞれの人はそれぞれの人生のシチュエーションに於いて、さまざまな「思い」を抱く。川柳作家はその思いを、たった十七音の韻文に表現する。すなわち、言葉のスナップ写真である。 句集の読者はそのスナップ写真を見て、読者の人生においての一場面を思い起こす。それが共感句として挙げられるのではないか? 人はそれぞれ違う人生を歩んで来た。感じ方や受け取り方が異なるのは当然である。しかし、お互いのこれまでの人生に於いて「思い」を共有する瞬間もあったはずである。心が通じ合うこともあったのだ。それを確認できたことが嬉しい。 柳歩 |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
燕たちさあどうしよう家がない 加藤けいこ
ドラマ観る妻はチャイムに知らぬ顔 石谷ゆめこ
我儘も百歳翁は許される 西垣こゆき
呼名聞いてから笑ってはいけません 橋倉久美子
イカはスルメにタコは干してもタコのまま 北田のりこ
ドキドキを楽しんでいるかくれんぼ 竹口みか子
もう少し飲むと仮面がずれてくる 鈴木 章照
お若いと言われその気になっている 沢越 建志
知ってるがバラもレモンも仮名で書く 山本 宏
音痴の唄に拍手私もおんちです 水谷 一舟
(東京みなと番傘川柳会 会長 横浜在住) |
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特別室 |
菊日和 矢神史子の第一句集『寺町通り』は表紙とカバーに写真家・浅井慎平、序文に『耕』主宰の加藤耕子を配した秀麗の仕立て。二百ページを超す各ページに二句を収める。名古屋の名刹・禅寺である梅屋寺の御夫人の由。(東京四季出版、4月8日刊) 寺町通りは、名古屋開府以来の伝統の呼び名で、今は東桜。桜の木が多く、禅寺の他、浄土寺、法華寺など町筋を区切って存在する。白壁町、鐘木町、文化の道も近い。
・地名にも江戸の名残りや菊日和 いずれも寺町住まいならではの作で、ひとしおの感慨がある。民生委員や人権擁護委員も兼務されている由で、寺の諸行事と併せて多忙を極めると察せられるが、それ故の句境の深化もあろうと思う。歌舞伎や落語、邦楽もお好きなようである。
・近松忌男女の仲は割り切れず その造詣が伺える。 序文の中で、加藤主宰が、俳句や川柳の場合、六十からが楽しみなのだと言っているが、自分も、そう思う。じっくり、味わいが出てくるのは、六十歳すぎてからの話だろう。 女人の場合、真価が発揮できるのも、その頃からであって、次のような一寸怖い作も胸に響くのだ。
・節分会鬼は身ぬちに棲むといふ 抽象に至る旅行吟を、好みのままに引きたい。折角の加餐を祈る。
・尖塔に光るミカエル秋澄めり (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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