|
|
目次28年5月号 ・巻頭言 「みや子さん」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論「没句は誰のものか」 ・没句転生 ・川柳・人と句「私の周りの柳人たち」 ・例会 ・例会風景 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号「すずか路」散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・ポストイン ・お便り拝受・その他と ・大会案内 ・編集後記 |
たかこ 柳歩整理 柳歩 柳歩 たかこ たかこ 清水 信さん 久美子 西垣こゆき |
|
巻頭言 | |
「みや子さん」
4月24日、大阪は展望の大会から帰ると夫の文字でメモ書きがあった。
全盲になられてどれくらい月日が経っていたのだろう。誰も細かいことは聞かなかった。皆、普通にみや子さんと接した。一緒の女性はボランティアの方で、途中からご主人が付き添ってこられるようになった。
目が見えないということがどれほど大変なことか私たちは知らない。だが、私たちは多くの事をみや子さんから学んだ気がする。みや子さんの明るさはパッとつくLED並みであった。
取り入れも無事に済ませた米農家 ご冥福をお祈りします。 たかこ |
すずか路より |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
川柳 人と句50「私の周りの柳人たち」 たかこ |
子の辞書に父の知らない字が並び 読み切れぬ風から湧いてくる不安
何よりのご馳走終始笑みがあり 働いた人だと握手してわかり
|
|
特別室 |
軽さについて 清水 信 鈴鹿の月例文学研究会の「土曜会」は、「軽い人間」が先導している。本誌を見ると「鈴鹿川柳会」の実態も、そうらしくて、親近感を覚える。
土曜会では藤田、松嶋が実に軽い。思考も弁舌もジェスチャーも軽やかで「老い果ての恋」を楽しんでいるようである。鈴川の吉崎・青砥ペアも、それに近い。
もちろん、軽さは「前衛」の主要条件であるから、むしろ歓迎すべきことではあるが、新聞、TVをふくめてマスコミのハッピー・ニュース待望論の危険性を考えると、何故かユーウツになってくる。 自分も筆を取り始めた頃から、批評家共に「軽い、軽い」と言われ続けてきたが、その見解に正対できないできたのだ。Aグループはシャボン玉のように軽いが、Bグループは小鳥の羽毛のように軽く、Cグループは麩(食べ物)のように軽いのだ。 自分は映画評論家の飯島正先生から「おまえさんは飛魚のように軽いね」と言われた。周知のように、飛魚は、硬骨魚の一種で胸びれが極めて大きく、それで空中を飛翔する。魚のくせに、海中にいるより、空中にいる方の時間が多い変態魚である。先生にけなされても、なんとなく納得できた。
10年も前も一番若く、今も一番若い橋倉久美子の、自分はファンである。笑ってはおれない文芸の悲劇性を、彼女は両肩に背負っていると思う。自分もまた「厭がらせの口舌」という悲劇を生きていると思う。 本誌268号から拾った彼女の佳句である。「そこそこの大きさ」「そこそこのつまらなさ」を知ることが大事で、何であれ、原理に似合う軽さの中に生きねばならぬ。 (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句(一人5句投票) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
|