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目次10月号 ・巻頭言 「 同窓会」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・リレー鑑賞 ・ひとくぎり ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・インターネット句会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・みんなのエッセイ・その他 ・大会案内 ・編集後記
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柳歩 柳歩整理 柳歩 荒川八洲雄 たかこ 柳歩 清水 信 久美子 たかこ |
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巻頭言 | |
同窓会 六十歳を過ぎると、たいてい仕事の方も第一線を退き、来し方を振り返ってみようという心境にもなるだろう。 同窓会やクラス会は、地元で企画してくれる仲間がいて初めて実現する。九月二十三日、小学校の同窓会が開かれ、山口県まで行って来た。 神戸高校(鈴鹿市)のクラス会は七年前から毎年開催しているが、小学校のそれは昭和三十二年卒業以来初めてだった。二十歳の時に中学の同窓会があり、十七年前には小学三、四年生のクラス会があったものの、五十四年ぶりに再会した仲間もあり、夢を見ているような時間を過ごした。 私は、昭和十九年四月に朝鮮京城府で生まれ、翌年十月、父母の郷里の山口県上関町(旧室津村)に引き揚げ、翌年春、父が就職した製鉄会社の社宅(現周南市)に移り住んだ。物心が付いたのはここからということになる。 昭和三十五年、十六歳の時に鈴鹿市に転居したので、私の人生の中でも少年期を過ごしたそれまでの歳月は、ひときわ強く記憶に残っている。 新大阪の新幹線のホームで、四十年ぶりにF君と再会した。一目で彼と分かった。五歳くらいからの幼友達で、道中、昔話に花が咲いたが、私の方がはるかに多く昔の記憶があった。それだけ彼の方が前向きに人生を生きて来た、ということか? 徳山駅で、やはり社宅に住んでいたYさんと合流。中学校、小学校、社宅の跡地を巡る。中学校では、岸信介筆の「和厳」の石碑、小学校では「金次郎の銅像」だけが変わらず建っていた。 海軍の暁部隊の跡地に建っていた社宅の跡は、テニスコートを含む緑地公園になっていて、昔の面影はない。 同窓生一六〇名のうち、会する者三十一名。みな老人のはずだが、名前と顔が一致してくると、小学生の顔に見えてくるから不思議だ。一番遠来の私の乾杯の音頭で宴に入る。持って行った『瓶の蓋』はすぐに完配。カラオケの後は街に繰り出して三次会。ホテル帰着は午前様とあいなった。 柳歩 |
すずか路より |
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リレー鑑賞「すずか路を読む」 |
行き付けの美容師さんに聞く政治 竹口みか子
血液の不適合ない蚊のからだ 小出 順子
肩書きを守りたいから毒を吐く
高柳 閑雲
体力と金と気遣いして子守
加藤 峰子
ゆるキャラがはやり政治もゆるんでる
北田のりこ
多数決反対意見除菌する 落合 文彦
謝っているが反省していない
吉崎 柳歩
反省をして反省会らしくする 青砥たかこ (松戸市在住・NHK川柳講座専任講師) |
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特別室 |
楜沢健 楜沢健(くるみさわ・けん)は、一九六六年東京生れ、早大文学部卒の 文芸評論家。『だから、プロレタリア文学』(2010年、勉誠出版刊)に次ぐ「だからシリーズ」の新刊である『だから、鶴彬』(4月、春陽堂刊)の副題には「抵抗する17文字」とあり、帯には「反戦、反体制を貫いた日本のサブカルチャー」とある。 「川柳は庶民の共同財産である」とは田辺聖子の言葉だが、民衆の生活感情を支える地口、狂句、軽口、洒落、風刺、落書をも下敷にした口承芸的な短詩であって、その対話性や無名性や集団性が独自の世界を開いてきたという序説には共感する。
29歳で獄死した鶴彬は、その点特殊例で、集団性には欠けるように思われるが、「失業すると、石川啄木が兄のように思われます」という手紙のように、プロレタリアへの連帯は早くから意識していた。 ・縮まって女工未明の町を行く
は、彼の初期の句である。「女工」という呼び名も、その過酷な労働の実態も無くなった今は、年間三万人を越える自殺者があり、それが十三年も続いている。
・的を射るその矢は的と共に死す
これらの中の矢、針、三角の尖などは『瓶の蓋』の感想で、吉崎柳歩の文学の特質を「寸鉄」ということで説明したが、その寸鉄に相当するものだ。 ・解剖の胡蝶の翅に散る花粉 ▼東京都中央区日本橋3‐4 春陽堂(文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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