目次24年2月号
巻頭言 「 芥川賞と直木賞」
すずか路
・小休止
・柳論自論
リレー鑑賞
・ひとくぎり
・例会
・例会風景
・没句転生
・インターネット句会
特別室
・アラレの小部屋
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・みんなのエッセイ・その他
・大会案内
・編集後記

 


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巻頭言

 芥川賞と直木賞

 今年も芥川賞と直木賞が決定した。

 私は昔からこれらの受賞作にはあまり興味がなかったのだが、五度目の候補で芥川賞を貰った田中慎弥さんの会見は、ちょっと変わっていて面白かった。

 「私がもらって当然だと思う。ここは断るのが礼儀だが、私は礼儀を知らないし、断って気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱するだろうから、都知事閣下や都民各位のために、もらっといてやる」と、こんな発言だったと思う。

 なかなか貰えなかったいらだちと、選考委員の一人である石原都知事の「リアリティがない、バカみたいな作品ばかり、刺激にもならない」などといった発言に反発心を表したもののようだ。氏は現在39歳で、工業高校卒業以来、働いたことがないそうだ。極端な人間嫌いなのだろう。石原都知事の「リアリティがない」は、実社会に出たことがない経歴が作品に読みとれるのかなあと、当初は思ったのだがそうでもないらしい。候補作品を総括しての感想なのだろう。

 ところで、一般に芥川賞は純文学を、直木賞は大衆小説を対象とする、と言われている。ネットで調べてみたら現実的には、「純文学系の雑誌『文学界』『群像』『新潮』『すばる』『文藝』に掲載された新人、もしくは新人と認められる作家の作品から」選ばれるのが芥川賞。「それ以外の『オール読み物』とかに掲載され、大抵の場合すでに単行本になっている作品から」選ばれるのが直木賞らしい。要するに作品の中味ではなく、掲載される雑誌によって区分されるという便宜的で形式的なところが、いかにもこの国らしい。

 いま私は「柳論自論」で、『川柳は文学か?』というタイトルで駄文を書き連ねているが、そんなことを考えながら川柳を詠んだり、鑑賞する人は少ないだろう。広辞苑によると純文学とは、「美的情操に訴える文学」とか、「大衆文学に対して純粋な芸術を指向する文芸作品」と規定しているが、大衆を離れて「純粋な芸術」などがあり得るのだろうか。

                                                             柳歩            

 

すずか路より
昼寝かナ友へ電話の手が止まる 鈴木裕子
恐妻の振りで周りを和ませる 加藤吉一
飽食で七草粥が美味すぎる 長谷川健一
三ケ日過去と未来を話す膳 水野 二
恒例の行事のように風邪をひく 竹口みか子
光熱費節約しすぎ医者通い 瓜生晴男
尻餅もついでに搗いて年の暮れ 安田聡子
添え書きが無くて友との距離を知る 芦田敬子
年毎に餅を少なくする雑煮 小嶋征次
猛吹雪しかめっ面でおめでとう 村 六草
ぎりぎりで合格をして落ちこぼれ 鍋島香雪
同居して学んだ事がたんとある 小出順子
腕組みをしてもいい知恵湧いてこぬ 鈴木章照
自画自賛そんな個展を後にする 沢越建志
戒名が無いと迷子になりますか 山本 宏
専門家ばかりで何も進まない 高柳閑雲
健康誌見ても健康にはならぬ 川喜多正道
四十年家も夫婦もすきま風 加藤峰子
知り合いが来るたび同じ寺巡り 青砥英規
もやもやが晴れず出掛ける美容室 山添幸子
鬼は外心の鬼は出ていかぬ 水谷一舟
路地に入りスカイツリーを見失う 小川のんの
あみだくじその気になって悔しがる 石谷ゆめこ
ヴァサヴァサと一度付けたいつけまつげ 岩谷佳菜子
雪山の後はお風呂で生き返る 松本諭二
寒椿咲かねばならぬように咲く 加藤けいこ
お年玉目当ての客がやってくる 西垣こゆき
拍手する時が分からぬ歌曲聴く 松岡ふみお
神話の嘘民話の嘘と初もうで 坂倉広美
ひとりごと聞いてくれてるシクラメン 橋倉久美子
最後まで子の言い分を聞いてやる 北田のりこ
夕焼けが昼を惜しんで暮れていく 落合文彦
うたた寝をするとあの世が近くなる 吉崎柳歩
しんどさが消えるみんなの笑い声 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」


 216号から                                    吉崎 柳歩

うつむいて生きるとできるデコのしわ       小川のんの
 おデコに皺ができる原因については諸説あるだろうが、のんのさんは「うつむいて生きる」からだと決め付けている。これからは川柳を味方に、顔を上げて生きていってください。

早いもの息子がパパと呼ばれてる         岩谷佳菜子
 
ということは、自分が「おばあちゃん」なったっていうこと。本当に早いものだ。光陰矢の如し。そのうち「大きいおばあちゃん」なんて呼ばれたりして…。

有難い経に聞こえる渋い喉            西垣こゆき
 ♯弥陀の浄土に帰しぬれば♭、と和讃ならところどころ理解できるのだが、漢文のお経はさっぱり解らない。どうせ解らないのなら、「渋い喉」のほうが値打ちが上がるというものだ。

まんじゅうを食べつつ恋は語れない        橋倉久美子
 
十八歳の乙女ならこんな句は作らない。まんじゅうを食べながら恋を語ろうとしたからこそ出来た句である。久美子さんは、今度は焼酎を飲みつつ恋を語るつもりなのである。

若葉マークつけて乗ってる車椅子         長谷川健一
 
無事、手術が成功されて良かった。ベッドから降りて車椅子に乗れば、病院中どこへでも行ける。乗用車の運転には慣れているが、車椅子の運転は初めて。「若葉マーク」が面白い。

寒い朝ゴンよ散歩を止めようか          小嶋 征次
わたくしが眼鏡かけると吠えられる        鍋島 香雪
 
愛犬家の句を並べた。一句目、「寒がりの自分」が、ゴンのためを思って声をかけたかのように詠ってあるのが狡い。二句目、眼鏡をかけたって優しいご主人の顔が怖いはずがない。ご主人に何かあったのか心配だったのだ。

孫たちよあまり私に似ないでね          加藤 峰子
(俺に似よ俺に似るなと子を思ひ)と詠んだのは、麻生路郎。峰子さんのお孫さんたちは皆、おばあちゃんにそっくり育って来たらしい。顔は似てもいいけど、性格は似るなってこと?

残り湯をトイレに流すマメなエコ         青砥たかこ
 
鈴鹿市では、上水道料と同額を下水道料金として徴収しているらしい。水道水を倹約することは公私共にエコに繋がる。私も湯たんぽの湯で髭を剃ったり、顔を洗ったりしている。

                               (鈴鹿川柳会会長補佐・鈴鹿市在住)

1月28日(土)例会より
宿題   「 苺 」 青砥たかこ 選と評
  クロネコで届いた母の苺ジャム 寺前みつる
  野苺の矜持酸味が舌を刺す 西垣こゆき
 秀 盲腸に懲りて苺の種を取る 川喜多正道
気の毒に苺を食べてアレルギー 青砥たかこ
宿題 共選「 てんやわんや 」 松本諭二 選
  正月に孫勢揃い枕投げ 加藤峰子
  出ぬはずの芽が全部出た植木鉢 橋倉久美子
 秀 来客のたび押し入れに放り込む 西垣こゆき
てんやわんやなのにのんきに寝てしまう 松本諭二
宿題 共選「 てんやわんや 」 寺前みつる 選 
  ブザー鳴り右往左往のビル火災 川喜多正道
  出ぬはずの芽が全部出た植木鉢 橋倉久美子
 秀 骨折れる老人会の添乗は 加藤峰子
愛と欲からむ忌明けの遺産わけ 寺前みつる
席題 互選 折句「あ・た・ま」 高点句
11点 跡取りが頼りないのでまだ逝けぬ 山本 宏
10点 愛情を足しておいしさ増す料理 山本 宏
 8点 足の裏たまには誉めてマッサージ 鈴木裕子
  あの世から楽しい誘いまだ来ない 村山 了
  明らかに他人行儀のマイワイフ 松本諭二
 6点 雨あがりたくさんの傘待ちぼうけ 小川のんの
特別室

詩人 亀山巌
                                              清水 信

 ダダイズムとは、第一次世界大戦末期、フランス、スイス、アメリカ、ドイツに興った芸術上の前衛運動で、既成の価値、秩序、法則などを否定し、すべてを破壊しようとしたもの。
 ダダイズムとモダニズムとは、微妙にちがう。伝統主義に対立する現代主義である点は同じだが、現代風の趣味や流行を追う傾向で、より現実的であり、また、より甘い印象だろう。

 自分は木下信三の収集し、編集した『亀山巌モダニズム詩文集』を、ひそかに愛読している。
 亀山は一九〇七年名古屋生まれ、虚弱体質ながら、工業学校図案科に学んだ後、震災後の東京へ出て漫然と暮す内、モダニズムの魅力にとりつかれる。
 しかし、上京前の工高時代に父親の関わっていた『兎の耳』に童話を書いたり、仲間と『妖星』とか『踏絵』とかいう同人雑誌を作り、詩や童話や絵を書いたりしていた。さらに『象徴詩人』を出した。一詩を引く。

  オフエリ

オフエリよ 夭死したオフエリよ
水葵 睡蓮のかげ
白い顔を浮かせ 微笑んだ

オフエリよ 水精の主オフエリよ
星の光 薔薇の香に
ゆるやかに白鳥のような裳の影

オフエリよ わが甘い思い出よ
蒼い手が 長い瞳がふるえて
湖に沈んだ手袋よ肩掛よ

オフエリよ夭死してかげもない
何処にか 水の底 人の声
オフエリよ オフエリよ

 現代表記にして写したが、「夭死」には「わかじに」とルビがあり「睡蓮」には「ひつじぐさ」、「水精」には「ナンフ」そして「湖」には「うみ」というルビがあるのだ。もちろん「オフエリ」はシェイクスピアのは「ハムレット」のオフェリアのことである。頭で書いた早熟の作品というべきだろう。少年としては、センスが良さが目立っている。

 のち新聞社に入り、やがて名古屋の文化界を牛耳るボスになった事情は、周知の通りである。一九八九年(平成元年)82歳で他界するまで、文学的ダンディズムを貫いた人だった。
 シュルリアリスムの道を歩んだ山中散生への激しいオマージュがあることを知る人も多いだろう。
「嘘を語るのを好みます。真実は貧しいからです。語れば、一層悲しくなるばかりです」
 と語った人でもあった。

                                                                                                                  (文芸評論家)

誌上互選より 高点句
前号開票『 気の毒 』
 19 お気の毒とは限らない未亡人 関本かつ子
 11   寸前で品切れとなる長い列 小嶋征次
 10点  気の合わぬ夫婦が暮らす五十年 西垣こゆき
  9 総書記の訃に号泣を強いられる 吉崎柳歩
  7 急逝の妻へ男の台所 鈴木裕子
  くじ運の悪さ今度もお世話役 福井悦子
  6 気の毒だけど替わりましょうと言えぬ基地 北田のりこ
  先生と間違えられた同期生 鍋島香雪
  暇と金あるのにいつも一人ぼち 加藤峰子