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目次24年3月号 ・巻頭言 「 です・ます調川柳」 ・すずか路 ・小休止 ・柳論自論 ・川柳 人と句「伊藤竜子さん」 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・インターネット句会 ・特別室 ・アラレの小部屋 ・前号印象吟散歩 ・誌上互選 ・ポストイン ・みんなのエッセイ・その他 ・大会案内 ・編集後記
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たかこ 柳歩整理 柳歩 たかこ 柳歩 清水 信 久美子 柳歩 たかこ |
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巻頭言 | |
です・ます川柳 もう十年以上も前のことになる、「川柳大学(故・時実新子主宰)」から合同句集が出た。参加した会員は二百三十六名。地位や肩書を捨象して掲載が五十音順のため、まだ川柳を始めて六年しか経っていない私がトップに載っている。 当時、句集が出る話があったとき、参加するかどうか躊躇したが、新子さんから「掲載する二十五句に対して百句ほど提出すれば選んでやろう」と促され何とか調達して送った。 丁寧に一句一句に向き合って下さったようだが、二日もしないうちに二十五句ピックアップされてそれは戻り、コメントが書かれていた。ほかの事は忘れたが「やたらと、です、ます調の句が目に付きました。丁寧に詠んだようでも句に重みがなくなりますから注意をするように」とあった。その句集を開いてみると、それでもあるある、四句もあった。それ以後はなるべく作らないように心がけてはきた。 だが、六年前に発行した句集を調べてみるとなんと十六句もある。ちなみに一昨年発行された柳歩さんの句集には ・隅っこで拗ねているのが私です の二句だけであった。男性だから当然だろうとは一概に言えない。現に男性でも多く見かける。川柳は話し言葉で詠む文芸だから、いけないことはないだろう。それに柳歩さんの右記の二句は、丁寧語で句が生きていると思う。私の例えば ・おことばに甘えて過去は忘れます などは、「忘れよう」でもいいわけで、逆に「忘れよう」のほうが思いが強くなると思える。安易に使っただけと言われても仕方が無い。左記へ、「です・ます」が生きていると思える句をピックアップした。
・秀才と才媛いいじゃないですか 「満天より」 大木 俊秀 |
すずか路より |
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川柳 人と句「伊藤竜子さん」 たかこ |
川柳すずか「すずか路より」
憎しみも愛も終った傘たたむ 句集「未完」隆士作品 春風がいつも覗いて行くポスト 冬樹作品
左義長に胸出す胸を病みし身は 竜子作品 理髪屋の鏡を正視出来ますか
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特別室 |
歌人 木村よし子 カミさんが視野狭窄症になって、車の運転を止めたので、50数年通いなれた津行きを止めた。先年、名古屋の会合へも出席を止めたので、一層身辺淋しくなっている。 月例の津文学研究会では岡正基座長の呆けぶりが顕著になっていて心配だが、鈴鹿の土曜会でも原発推進派の藤田充伯座長や伊藤伸司副座長はじめ村井一朗、名村和泰、岩田安祐諸君の呆けぶりが昂じて、毎月第二土曜日午後には胸を痛めている。 その老齢化一途の、新人の入りにくい土曜会に最近入会したのが、歌人である木村よし子である。 『あたたかき雪』(短歌新聞社刊)は、その第一歌集である。青木郁夫の『歌と人』(鈴鹿市)を経て、『アララギ派』に所属する歌人である。15年間の作歌1574首の中から、580首を選んで、この第一歌集と成ったという。 その「あとがき」を見ると、離婚体験はあるものの、三人の子はすべて医療の道を歩み、御自身もマスキングという仕事を続けられたという。丁寧な序文を寄せているのは、『アララギ派』の常磐井猷麿主宰である。その職場詠を奨励している。
・一本づつ確かむる如くマスキングするなり我に戻りし仕事 こういう職場詠には分からぬ部分もあるが、独自の体験は充分生きているのだろう。それよりも、
・かつぎ屋して育てくれたる母の背を流しぬ今はふくよかな背を という家族詠に心惹れるのは、自分の好みであるけれど。
・海の面に残照及び平らけし嫁ぎて住みし松阪の海 という近作を賞めたい。 ▼鈴鹿市国府町九五二‐一 木村よし子 と語った人でもあった。 (文芸評論家) |
誌上互選より 高点句 | |||||||||||||||||||||||||||
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