目次24年4月号
巻頭言 「 彼岸の入り」
すずか路
・小休止
・柳論自論
川柳 人と句「 前川 榮さん」
・例会
・例会風景
・没句転生
・インターネット句会
特別室
・アラレの小部屋
・前号「すずか路」散歩
誌上互選
・ポストイン
・みんなのエッセイ・その他
・大会案内
・編集後記

 


柳歩
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巻頭言

 彼岸の入り

 毎年よ彼岸の入りに寒いのは             正岡子規 

 この俳句は、子規の「彼岸というのに寒いね」という語りかけに答えた「毎年よ、彼岸の入りに寒いのは」という母親のつぶやきをそのまま一句にしたものと言われている。この句は子規の母の作品であって、子規の作品ではない、と言う人は皆無である。

 川柳展望社の天根夢草主宰は、『川柳展望142号』で、このように書かれている。
「よく見て発見する。発見したものを川柳にする。写生ではなく、観察。観察することによって生まれる『発見』。一に観察、二に観察。観察することによって発見(見つけ)がある。発見した『こと』を川柳にする。『こと』だけでよい。『おもい』を加える必要はない。『こと』が述べられてさえいれば作者の『おもい』は伝わる。『こと』を述べて『おもい』の伝わる川柳が、いい川柳である。」

 夢草主宰の見解はそのまま冒頭の俳句にも当てはまる。この句には技巧は一切ない。母の「つぶやき」を、そのまま五七五の俳句に写し取っただけである。「思い」も書かれてない。それでも「思い」は十分に伝わってくる。夢草主宰のおっしゃる通りである。子規は母のつぶやきを聞いて、これはこのまま俳句になる、と発見したのである。万事に耳目を注ぎ(観察して)、句材を探していたから発見できたのである。手を加える必要はない、と判断したのだ。正しく子規の作品である。

 ほんとうに通れませんと書いてある         吉崎柳歩

 駈け出しの頃の拙句である。「通れません」と書いてあった看板が、今日は「ほんとうに」と書いてある。『オール川柳』に、思い切ってそのまま出句した。二人の選者のうち、夢草さんに特選で採ってもらった。『こと』だけで『おもい』を汲み取ってくれる選者は、だんだん減ってきている。

                                                            柳歩            

 

すずか路より
毒舌を笑って聞ける歳になる 鍋島香雪
乗れたのにエレベーターがブウと鳴る 小出順子
交番の前では外すサングラス 鈴木章照
変化球どれもスリルに満ちている 沢越建志
背伸びして春を呼んでる蕗の薹 山本 宏
風船よお前も海を越えたいか 高柳閑雲
咲き初めた梅の意表を突いた雪 川喜多正道
ビートルズ深夜に聞いて胸おどる 加藤峰子
鎌倉と土産に入り箔が付く 青砥英規
ひと理屈こねても湧いてくる涙 堤 伴久
ご都合を聞いて気張らしする電話 山添幸子
親孝行生きてる限りせにゃならぬ 秋野信子
筆順は違っていても愛と書く 水谷一舟
美しい花だけ店に飾られる 小川のんの
看護師を走らす真夜中のベッド 石谷ゆめこ
一人だとボリューム上げるカーラジオ 岩谷佳菜子
あそこまであそこまではと言い聞かす 加藤けいこ
親しみが持てるあなたも花粉症 西垣こゆき
洗濯のお札乾かす窓ガラス 松岡ふみお
いつかかならず帰れるように祈る酒 坂倉広美
気持ちならとうの昔に切れている 橋倉久美子
平均寿命はあくまでも平均値 北田のりこ
信号を信じヒヤッとさせられる 落合文彦
赤ちゃんを抱かせてもらう細い腕 鈴木裕子
生ゴミの捨て場烏に見張られる 加藤吉一
小女子の煮付け匂ってくる白子 長谷川健一
心地良い陽差し下着を替えさせる 水野 二
誰もデビューしたくないはず花粉症 竹口みか子
病窓に映る鳥にも嫉妬する 瓜生晴男
草の芽と間違えられたバイモの芽 安田聡子
好きな事たくさんあって未完成 芦田敬子
彼岸過ぎ未だセーターを放せない 小嶋征次
日本の文化やらせもお祭りも 吉崎柳歩
桜咲く空に音符が跳ねている 青砥たかこ
 

整理・柳歩

川柳 人と句2「前川 榮さん」                                                                                         たかこ

 大丈夫なるようになるきっちなる
 おずおずと正しいことを言っている
  ちょっと泣いてどこかうきうき喪の支度

  どくだみの香り嫌いじゃないわたし
  裕福な家に負けない笑い声
  仏像へ柏手を打つ参り方
 
 食欲のない日も作る家族の食事
 欠点は無邪気が過ぎるおじいさん
 体力のあるうちに抜く親知らず

 七十歳になったらピアノするつもり
  おさしみで済ますと鍋は汚れない
  逃げていた頃の荷物が今届く

 どちらでもいいことばかり議論する
  なるようになると同居をする話
 聞こえないふりをしてると動く耳

 義理堅い人には義理を欠いておく
 謙遜のつもりを鵜呑みされちゃった
  やさしさをせがまれたのでつきはなす

 よくできた人の小さな癖が嫌
 生きていることが仕事のおじいさん
 割勘で家族旅行に行きました

3月24日(土)例会より
宿題   「違う 」 青砥たかこ 選と評
  いつもと違う道で桜が咲いている 竹口みか子
  俎の裏では違う料理する 坂倉広美
 秀 私ではないと真犯人は言う 吉崎柳歩
本物は違うと通の顔で言う 青砥たかこ
宿題 共選 「 乾く 」 水野 二 選
  西風のない日狙って布団乾す 小川のんの
  よく乾くからと余分に脱がされる 鈴木裕子
 秀 カラカラに乾いた脳で句も出来ぬ 小嶋征次
愛情も乾く夫の浮気癖 水野 二
宿題 共選 「 乾く 」 橋倉久美子 選 
  部屋干しは家の匂いのシャツになる 竹口みか子
  よく乾くからと余分に脱がされる 鈴木裕子
 秀 傷口が乾くと痛みより痒み 小嶋征次
乾こうと思っていない水たまり 橋倉久美子
席題 互選 「 花 」 高点句
 9点 ほめられて散るに散れなくなった花 吉崎柳歩
  背景に花を入れるとかすむ僕 坂倉広美
 7点 花束の方もちょっぴり照れている 橋倉久美子
  くどくなら花を抱えていらっしゃい 青砥たかこ
 5点 花祭りお地蔵様もおしゃれする 小川のんの
  早咲きの花で早くも下り坂 吉崎柳歩
  遅い春花のパズルがまだ解けぬ 坂倉広美
特別室

歌人・臼井大翼
                                              清水 信

 今春、橋本俊明が三銀ふるさと文化賞を得た。先ずは目出度い。かつて、中井正義や岡正基、間瀬昇、吉村英夫などが受賞した賞である。

 橋本が主宰する歌誌『覇王樹三重』を毎号愛読しているが、近刊の109号は別冊として臼井大翼の関東大震災に際してのドキュメント『生残手記』を復刻している。もちろん3・11以降の文学の状況に対しての、氏らしい抵抗の寄与だろう。
 末尾の略年譜によると、大翼は明治18年2月千葉県生まれ。大正2年に東大独法科卒。大正12年まで大安生命会社に勤務、その間、橋田東声らと『珊瑚樹』を創刊、のち大正8年歌誌『覇王樹』を創刊。
 結婚して三子を得て、弁護士を開業。昭和8年に至る。
 大正12年9月、横浜にて関東大震災に会う。特集は当時の記録である。
 とんで昭和10年代には多事多難。14年には20周年記念祝賀会(日比谷三信ビル)、土岐善麿、前田夕暮、窪田空穂、斉藤茂吉らが参加。また暮には東声10周年忌を行う。

 昭和17年、弁護士を廃業、日本撚糸統制株式会社に入り、のち社長就任。
 昭和22年4月23日、急性肺炎にて逝去(享年62)、横須賀市宗円寺で葬儀。

・恥いくつ加ふるごとく歌よめり身につもりては恥を愛しも

 これは晩年の作。吉植庄亮が「大翼という男は、着るものの好みといい、書く文章といい、浅酌低唱の一ふしにも、すり流す墨の筆にそむ文字にも、一分の隙も決して見せない」と言うたと、橋本の解説から孫引きする。

 大翼生前の唯一の歌集は『私燭』(大正14年)であり、没後『臼井大翼歌集』(昭和45年)が刊行された。関東大震災に即した歌は一首もないそうで、この散文「生残手記」が、その唯一の被災記録であり、その在り方にも、一種の美学を感じる。

 同じ解説から、臼井大翼の歌作三つを引く。

   ・くれなゐを梢にみればこの春のいのち鮮かに色に結べり
・夜の雨とまどひし水のおと明けてまぶしく瀬だつ朝の楓に
・乏しきに慣れてくらせばとつきも過ぎ皿ちぐはぐにいまも飯をくふ

 ▼鈴鹿市西玉垣町5‐4  橋本俊明

                                                                                                                  (文芸評論家)

誌上互選より 高点句(一人5句投票)
前号開票『 外す・外れる 』  応募78句
 14 激安のツアーでいつも時季外れ 山本 宏
 13 外れてもわびは言わない予報官 橋倉久美子
 10 ピカソの絵外して孫の絵と替える 鍋島香雪
    さあ寝よう入れ歯眼鏡も休ませる 北田のりこ
    答弁はやんわり的を外してる 加藤峰子
   肩書きが外れた途端こないハム 濱山哲也
   9 賢そうと言われた眼鏡外せない 宮アかおる
  8点 しがらみを外し自由に生きている 西垣こゆき