目次12月号
巻頭言 「 業の肯定 」
すずか路
・小休止
・柳論自論
・没句転生
リレー鑑賞
・ひとくぎり
・例会
・例会風景
特別室
・アラレの小部屋
・前号印象吟散歩
誌上互選
・ポストイン
・インターネット句会
・みんなのエッセイ・その他
・大会案内
・編集後記

 


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巻頭言

 業の肯定
 

 先ごろ、落語の立川談志さんが亡くなった。私はさして落語に興味はなかったのだが、中日新聞の「中日春秋」欄で、氏の型破りな落語家人生に触れて「落語とは人間の業の肯定である」という言葉を紹介していた。

 氏の著作『現代落語論』では、「人間の業とはなにか。(生まれた以上生きなければならない、その長い人生の〜柳歩意訳)そのあいだの退屈を紛らわせるために余計なことをしようとする。つまり好奇心。この始末が悪いものを私は『業』と詠っている」とある。
 仏教用語としての『業』は、因果応報つまり「善悪の行為は因果の道理に寄って後に必ずその結果を生む」(広辞苑」のことを指すと思われるが、彼の言う『業』とは、「偶然この世に生まれ出た欠点だらけの人間が、とんちんかんなことばかりして喜んだり悲しんだり、笑ったり泣いたりする生き様」のことであり、そういったものをすべて肯定するものが落語である、というものだろう。
 これはこのまま、わが『川柳』にも当てはまるのではないか。  川柳は「人間諷詠の詩」と評されるので、表現が似ているのは当然とも言えるが、川柳は落語と違って、たった十七音しかないので、くどくどと「業を詠む」ことは出来ない。『業』に当たる言葉が『味』なのであろう。

 『川柳展望』の天根夢草主宰は、その113号で「川柳は『川柳味』がなくては川柳ではない。『川柳味』とは何なのか。川柳における川柳らしさ、川柳の味。それは滑稽(ユーモア)、軽味、喜、怒、哀、楽、爽快感、不潔感、清潔感、劣等感、その他もろもろの感じ」と述べられている。ここで言う『川柳味』こそが『人間の業』ではないだろうか? 人間の『業』を発見し表現する。これが私たちの川柳である。

 「誹風柳多留」に見る古川柳は伝統川柳とも呼ばれ、主として他人の事を詠む客観詩であった。現代川柳も客観詩ではあるが、自分をも積極的に詠む。自分を客観視して、自分の本性を詠む。 人間味あふれる川柳を詠もう。

                                                             柳歩            

 

すずか路より
うつむいて生きるとできるデコのしわ 小川のんの
山が呼ぶわけではないが山に行く 松本諭二
霧深い山あいマチュピチュが見える 石谷ゆめこ
早いもの息子がパパと呼ばれてる 岩谷佳菜子
有難い経に聞こえる渋い喉 西垣こゆき
子は宝そうとも言えぬ家の子等 松岡ふみお
度の合わぬ眼鏡のせいにして遅刻 坂倉広美
悲しい歌聴いて悲しくなってくる 橋倉久美子
切りが悪くて降りたホームでつづき読む 北田のりこ
定刻に来ると思っていないバス 落合文彦
わかるけど快気祝いが早すぎる 鈴木裕子
未だ使う畚を近所に褒められる 加藤吉一
散るまいと水吸う薔薇に負けられぬ 長谷川健一
トンネルの中だもうすぐ明ける闇 水野 二
裏金は時代遅れと心得よ 村 六草
言葉にはしない思いが消えそうで 竹口みか子
間食を我慢できずにまた太り 瓜生晴男
大根煮べこう色に味しみる 安田聡子
外面がよくて外では愛される 芦田敬子
寒い朝ゴンよ散歩を止めようか 小嶋征次
わたくしが眼鏡かけると吠えられる 鍋島香雪
ドクターも言っても無駄と知って言う 小出順子
秒針がなければ出来るリラックス 鈴木章照
日溜まりを好みいつしか妥協癖 沢越建志
見た目より女性の歳は若く言う 山本 宏
身の丈に合った土俵で勝負する 高柳閑雲
孫たちよあまり私に似ないでね 加藤峰子
然りげ無く手伝う見過ごしはできぬ 山添幸子
夕焼けが心地よいです伊勢平野 秋野信子
不老長寿酒もタバコも止めてみる 水谷一舟
年の瀬は時計の針もなる凶器 青砥英規
老眼鏡も貸してもらえる喫茶店 吉崎柳歩
これしきの風邪と思ってこじらせる 青砥たかこ
 

整理・柳歩

リレー鑑賞「すずか路を読む」


 214号から                                    板橋 柳子

しあわせはUターンする時もある         小出 順子
 
ごく普通のしあわせと考えるとそれほどの句ではないが、突然のUターンは、せっかくの巡り合わせた幸運とチャンスのUターンと考えるとこの句がぐっと深くなる。私たちの日常はそうよい事ばかりではないようだ。しかしこの句のようにUターンされたら、二重写しに不幸を感じてしまうのだ。

生きて行くための歩幅を確かめる         沢越 建志
 まじめな生き方を感じた句。このような句を書けるのは意志の強さ、人としての歩み方がしっかりしているからだろう。川柳作品に自己主張の句が多く見られるのはよいですね。

焙り出すように男の過去の傷           高柳 閑雲
 どのような傷であろうと男の生き様なのである。過去へ引き戻される傷、男ならあって当たり前の傷だと思う。弱さを微塵も見せぬ男の傷であって欲しい。

先はあるいつかいつかと朱を添える        山添 幸子
 この句から感ずる葛藤は、小さなものであってもその先に求める幸せ、願いの必死さを思った。

愛ですか婆さまと会話すれ違う          水谷 一舟
 
この婆さまとは大切な婆さまである。この夫婦はいつも特別な話題があるわけではない。何かトボケタ味のある句。

貼り薬寄る年波にペタペタと           岩谷佳菜子
 ペタペタがとても面白くまとめた句。貼り薬は多分日常的なのでしょう。こうして句はもっと作られて良いと思う。

将来の事は語らぬ男の手             坂倉 広美
 現実に男の手とは人に見せぬものである。働いて汚れた手など見せてどうなるの気概である。この句にはそうした事ではないが夢だけを追わない男の強い手を句にしている。

がんばれの次の言葉が出てこない         長谷川健一
 
この句から三月の東日本大震災の事を思った。仮設住宅はもう畳まれて現実との暮らしが待ったなし、にある。
被災者はまだ癒えてない現状にどうゆう言葉が適切なのか、いまこの句を前にして考えさせられた。

連れ合いに当たり外れもありまして        鍋島 香雪
 ちょっと笑ってしまいました。何をおっしゃいますか。お互いにそう思っているから、楽しくうまくいけるのではないでしょうか。

関係者だけにお知らせする花火          吉崎 柳歩
 最近の花火大会などは行政が広報などを通じて市民にも知らせますが、この花火は突然のドーンと揚がった花火のようですね。花火はもともと近くで揚げるものですからこの句は為政者の都合で揚げられる花火。

                                (とうかい柳壇川柳会会長・愛知県在住)

11月26日(土)例会より
宿題   「 救う 」 青砥たかこ 選と評
  忘れたころに咲いて私を救う花 橋倉久美子
  妥協せぬ人事会社の危機救う 加藤吉一
 秀 救命ボート全員は乗れません 北田のりこ
救うなら助け求めるうちにして 青砥たかこ
宿題 共選「 すべて 」 北田のりこ 選
  君にすべてまかすと言われ寒くなる 坂倉広美
  人生のすべてを賭けてサインする 小川のんの
 秀 練習のすべて出せないまま負ける 加藤吉一
おねだりの切り札「みんな持っている」 北田のりこ
宿題 共選「 すべて 」 小嶋征次 選 
  すべて手作り母の御節が懐かしい 芦田敬子
  すべて見せたらそのうち誰もいなくなる 青砥たかこ
 秀 エンディングノートすべて書き込むのは危険 加藤吉一
親だからすべての愛を注ぎ込む 小嶋征次
席題 互選「 開く 」 高点句
 7点 親が死にはじめて開く経の本 石谷ゆめこ
  口開けて泳ぐクジラは食事中 北田のりこ
 6点      こっそりと開く教師の虎の巻 吉崎柳歩
  胸襟を開く素振りも策のうち 加藤吉一
  美しい人にはすぐに開く窓 吉崎柳歩
 5点 コンパクト開くのり巻き食べたあと 青砥たかこ
  診察の扉を開けるまで孤独 小出順子
  開店をした日に一度行ったきり 吉崎柳歩
特別室

たかい本 綿谷雪の『川柳妖異譚』
                                              清水 信

 いつも可愛い気な阪本きりりが、にくたらしいことを『川柳四日市』に書いていた。川柳作家たちがエッセイ執筆を頼まれると、その応待の姿勢がワンパターンでイヤになるというのだ。

 @先ず身辺雑記。子供の頃の思い出とか、犬猫などのペットのこととか、自分や家族の病気のことを書きたがる。A友だちや仲間の川柳作品について、無難な感想を書く。B最近読んだ本について無益無害の感想を書く。
 それに尽きるので、つまらない。誰をも怒らせず、誰をも感動させない書評なんぞで、その場をごまかす、という風なことが書いてあったように思う。

 本欄「特別室」の百回を目指して、書評を10篇ほど書こうとした自分は、その正論に衝撃を受けて、暫時エッセイの本義について考え込んでしまった。
 読書のたのしみ。そんなものがあるとしたら、ベストセラーズを追わない。安い本は買わない。他人の批評は信用しない。その三原則からしか与えられないと感じている自分は、かなりへそ曲りの方だが、それでも、きりり女史の言うように、書評になると、自然に甘くなってしまう。読書体験記は連帯を求める作業に、他ならないからである。

 今回、紹介するのは、綿谷雪の『絵入川柳妖異譚』(昭和44年、近世風俗研究会刊)という本である。いま、古本屋で8万円の値段がついていて、本誌読者のなかでも、持っている人は絶無だろう。
 二百部限定で、定価はついていないが、いずれ、この手の本はすぐ古本屋に流れて、古本屋のおやじは、顧客の需要に応じて、独自の値段をつけるだろうという思惑からだ。
 越前産手漉和紙を使い、ヒモで結んだ和綴じで、正続二巻が夫婦函の中に入っている。めおとばことは、汚れよけのケースの下に、さらに和紙細工の化粧箱がついているというゼイタクぶり。

 内容は、と言えば、江戸川柳の内からオバケ・妖怪・怪談を扱ったものだけを収集して、絵入りで、その講釈を試みたもの。例えば、

・九尾よりこわい女の指九本
・皿割った下女どんぶりにされるなり
・焼継ぎを呼んでくんなと井戸で泣き

 これらの怪作の鑑賞の仕方を教えているのだが、当世柳人には、わけがわからぬであろう。
 そう言えば、当節の川柳では、お化けや化け猫やユーレイなど、怖いものは一切描かれなくなったものな。
                                                                                                             (発行所はつぶれたので、書かない)

                                                                                                                  (文芸評論家)

誌上互選より 高点句
前号開票『 財産 』
 10 差し押さえされても泳ぐ池の鯉 吉崎柳歩
  9 まだ動く足と十指を持っている 岩田眞知子
  8 鑑定に出し財産がゴミになる 吉崎柳歩
  財産も詮索される門構え 沢越建志
  財産はないがへそくりならうふふ 福井悦子
  財産はお前だったと言われたい 関本かつ子
  7 財産は頭脳と美貌ぐらいです 橋倉久美子
  生前贈与親の介護も付けておく 福井悦子