久美子さんも「アラレの小部屋」で取り上げられている「特別室」一五九回分の寄稿文を全部読み返してみた。レクイエムにふさわしいものをここに取り上げてみる。あと、二・三再掲したいものがある。機会があれば掲載したい。
『特別室 R「死の句」より』 清水信
三重県川柳連盟刊行の『創立三十周年記念誌』〔平成十七年四月刊〕には、驚いた。その豪華な本の造り(赤い表紙など)にもびっくりしたけれど、内容の充実さも比類がない。とりわけ会と各地区各結社の史的総括がしっかりしていて「保存版」にふさわしいとさえ思えた。
句作のほうは一ページお二人という組み方で、一人五句という規制がなされていて、各グループ五十音順(イニシャル)の配列で、これもすっきりしている。
しかし、鑑賞者の勝手で言えば、詩と死ということで、短詩型文学の最もストレートなテーマは「死」だと思っているので、作者の老若男女の如何にかかわらず、五作も出すのだから一つくらいは「死」が詠われていなければならぬという気がある。
「逝く」とか「去る」とか「悼む」とか「喪」ではなく、じかに「死」という文字が入っているのが良い。
「脳死宣言ぐらいに死んでやるものか」(水谷一舟・四日市)はダブルで入っていて、一寸やりすぎ。
〈青砥たかこ・鈴鹿〉
たいくつという言葉から死語になる(この死も人の死と同じだ)
〈橋倉久美子・安濃町〉
あんな死ならいいなすとんと麻酔効く(すとんがいいな)
(そあ・四日市〉
死ぬ前にたくさん得たい生きる刻(「そあ」というペンネームが気に入りましたね。「たくさん」が若々しいね)
〈宇田和代・伊勢市)
死にたいと言ってる人もすぐ逃げる(そんな奴、多いよな)
〈岡山武夫・松阪市〉
一枚の葉から読み取る死生観(あの童話はよかったな)
〈柚原久延・松阪市〉
死ぬまでに本を整理しておこう(整理しようとしまいと、死ねば本はゴミですな、現在は)
〈村山 了・四日市市〉
戦場で死ねば戦死になりますか(イラク派兵に問う)
そっ気ないし余情もない「死」という単語が、思い入れを薄くして、使えるようでなければいかん。冗談半分と思って貰っても良いのだが、川柳の生命は、乾いた文字がどれだけ使えるかで決まる。
(文芸評論家)
清水先生が逝去されて、やがて二か月。風はまだ冷たいが、桜の開花宣言があちらこちらで聞こえる。
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