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「図書館と川柳誌」
先月の初め、大阪は大阪城の近くの図書館へ川柳のイベントに出かけた。いきさつなどは説明が長くなるので割愛する。新築したばかりの館内は広々としていて、日曜日の午後ということもあってか親子連れであふれかえっていた。棚は程よい高さで棚と棚の間はゆったりとした空間があった。
図書館にはたくさんのスタッフが、きびきびと働いていた。奥の一室に三十名ほど入れる会議室があった。この部屋は随時いろんな催しが開催されているようだった。その日は「川柳を作ろう」がテーマで、二十名近くの中高年の男女が参加された。川柳のイベントは初めての試みだったらしい。 途中で気がついたのだが、部屋の両脇に本が並べられる棚があった。その棚に、ずらりと川柳の本が並べられていたのだ。今日の為に図書館の職員さんたちが準備をされたのだった。 「古川柳」はもとより、田辺聖子の「道頓堀の雨に別れて以来なり」、時実新子の著書もほとんどあったのではないだろうか。借りて行きたい本も何冊かあった。
その時思った。 鈴鹿市の図書館には、川柳関係の読み物はほんの数冊が申し訳なさそうに並んでいるだけ。俳句や短歌にしても「詩歌」のコーナーに連ねて置かれているだけ。資料室に行けばあるのかも分からないが、気軽に手に取って借りて読めるものはない。鈴鹿どころか三重県で一番大きい津市の県立図書館でさえ、そうたいして変わらない。置いて欲しいと言う要望がないのか、置くスペースがないのか、聞いてみないと分からないが、これが普通だと思っていた。 さすが大阪と言うしかないだろう。 そして、最近図書館に行っていないことにも気がついた。読みたい本をじっくり探す時間も、また読む時間もなくなっていることにも。
読書って、読む薬だよね〜などとうそぶいていた日もあった。一考しなくては…。
たかこ