八百萬流 清水 信
「八百萬の神」という概念は、バカバカしいが、悪くないだろうと、凡人の僕は思う。巨岩と見れば、それに祈り、巨樹を見れば、そこにしめ縄をかけ、ほこらを見れば、その洞穴に詣で、太陽を御来迎としておがむかと思えば、名月にお供えをしたりもする。日本人の信仰は、まことに不しだらで、不定見である。
しかし、岡さんは神職だし、衣斐さんは禅宗だし、麦畑さんは法華教だし、井上さんはクリスチャンだったし、堀坂さんは真宗だろう。かくの如く友だちが、夫々信仰を深めていて、そのどなたとも親しくしているから、この世界、やっぱり八百万の神仏がいるわな、と思ってしまう。
学生時代は学校の近くにニコライ堂があって、よく出入りしていたが、北京に行ってからは、孔子廟やラマ教の怪しげな寺院へよく行っていた。仏陀に関する本や、名僧の評伝は何十冊も持っていて、いわば思想研究や思想人の研究という眼目があった。宗教に身を捧げた人は、夫々に美しい。
頭脳も精神も、日常さえも、千々に乱れて収拾のつかぬそれに比べて、人格的にも生活的にも、随分しっかりしているように思われる。
そういう虚無感に襲われている俗人は多いはずで、その空白につけ入る新興宗教がいろいろ出てくるのは、充分理解できる。
オウム事件は、その犯罪に対する裁判が、未だに続いていて、判決がついていないが、高学歴の青年や、突出した美形の女性が加わっていたことに、我々は唯驚くばかりだった。その時の疑問や驚嘆は、未だに日本人の胸の奥に、くすぶり続けているに違いないのである。
終戦の時、僕は24歳であった。
ガルシンのように死ぬか、中川一政のように生きるかが、問題だった。ガルシンは32歳で自殺したロシアの小説家であり、中川一政はヘタウマの長命の画家であった。そして、自分は中川の生き方を選んだ。
中川は「ヘタも芸の内」と言って、その下手くそな画文の道を、平然と歩いてきた。
日本人は幸いにして、ヘタウマが大好きである。名優とか名歌手とか言われる人も、名文家と誉められる人も、大概は下手糞であり、それを知りつつそこに親近感を寄せる民族である。
詩人も川柳人も、まるで皆、下手くそであるが、それが長生きのコツでもある。信心なき者こそ、救われる。