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目次04年5月号 ・巻頭言 「しゃれの原因」 ・すずか路 ・小休止 ・川柳つれづれ ・人と句「大山滝(5)を…」 ・例会 ・例会風景 ・没句転生 ・アラレの小部屋 ・前号「すずか路」散歩 ・誌上互選 ・インターネット句会 ・ポストイン お便り拝受・あしあと ・大会案内など ・編集後記
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久美子 久美子・柳歩整理 基十・順子 柳歩 たかこ たかこ 柳歩 久美子 月波与生さん 柳歩 |
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巻頭言 | |
「しゃれの原因」 いわゆるサラ川や一部の公募川柳で、しゃれや言葉遊びが幅を利かせている理由を考えていたら、思い当たったことが一つある。「教科書に川柳を」というスローガン(?)があるように、国語科の教科書に川柳が掲載されていないことが、川柳の普及が進みにくい一因だという考えがあるが、逆に、社会科の教科書での川柳の扱いが、現代の川柳への誤解を作っているのではないかと思いついたのである。
中学校の場合、「川柳」は、江戸時代の文化として歴史的分野の教科書にちゃんと出てくる。しかも太字(重要語句)である。問題は、そこにつけられる形容詞が「風刺、こっけい、皮肉」という言葉であること、そして「狂歌・川柳」とひとくくりにされていることではないだろうか。 もちろん、作品が載らなくなってきたのは狂歌も同様である。とはいえ、これまで掲載されることの多かった「白河の清きに魚も住みかねて元の濁りの田沼恋しき」や「世の中に蚊ほどうるさきものはなしぶんぶというて夜も寝られず」、あるいは「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」は、当時の政治状況を説明するには便利だし、掛詞(しゃれ)を使っていて生徒の興味も引きやすい。たとえ教科書に載っていなくても、授業で紹介される可能性はある。少なくとも川柳より狂歌の方が、社会科の授業での「利用価値」が高いのだ(川柳で使えそうなのは、「役人の子はにぎにぎをよく覚え」ぐらいか)。 かくして、「風刺、こっけい、皮肉」を含む内容で、「五七五七七=狂歌、五七五=川柳」であり、「掛詞(しゃれ)を使う」というのが、中学生の理解となる。これが潜在意識となり、しゃれや言葉遊びの川柳を生む土壌になっているのではないかと思うのだが、少々考え過ぎだろうか。久美子 |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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誌上互選より 高点句(一人5句投票) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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