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目次06年10月号 |
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巻頭言 | |
「二十一回大会の行方」 平成十五年(二〇〇三年)六月二十九日、第一回鈴鹿市民川柳大会は開催された。その後毎年続けて開催、令和になった直後、コロナのおかげで第十八回大会は二年足踏みを食ったがその後三回続けてすべて会場を変えて開催することが出来た。 二十回と一言で言っても、長い長い道のりであった。第一回からずっといる会員は、裕子さん、久美子さん、柳歩さん、そして私の四人だけである。柳歩さんも私も五十代、久美子さんに至っては四十歳になあったばかりだった。若さとは、失敗を恐れることなく突き進めて、走り続ける力があることだった。コロナという大きな打撃は、それ以後の大会のたびに立ちはだかる壁になった。が、コロナ以上に打撃を与えられたのは、「東樽」の店仕舞いだった。会場の心配をしなくてもよいことがどれほどの幸せだったか今さらながらに思う。
それでも、果敢に会場を探してくれたのが柳歩さん。商業ベースに乗った会場であっても、また公共施設会場であっても、それなりの重圧?
に耐えて、丸一日を借り切って乗り越えてきた。
新体制(たかこ会長、柳歩さん補佐)になって二十二年が経った。スタッフの減少、高齢化、何をおいても地元(鈴鹿)で大会が開くことが出来ないことなど、解決策を探すべく主だった会員たちに集まってもらって話し合いをした。そこで出た意見が、全国の人に集まってもらう大会はこの辺で一回お休みをいただくことにしてはどうかとなった。地元での足固めも考慮に入れながらじっくり見つめ直そうとなった。 |
すずか路より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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誌上互選より 高点句(一人5句投票) | |||||||||||||||||||||||||
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